私の師匠は、希代のセクシャルヒーラーです。もちろん、師匠の師匠も偉大なセクシャルヒーラーです。
その師匠の師匠に、「蜘蛛の巣を張ってんじゃない!あなたはジュンちゃんのとこの子でしょう?猫を被ってるんじゃない!タイガーのくせに」と叱咤激励されながら、このテーマに取り組んでいます。(笑)
師匠の師匠曰く「セックスとの距離は、人生との距離」。あなたがご自分のセクシャリティを受け入れられずにいる分、人生から引きこもっているのだそう。確かに、自分らしく生きられていないのは、「生きてる!」とは言い難いですよね。
こんにちは。みずがきひろみです。
「セクシャリティ」の裏テーマはデッドゾーン
セクシャリティは、私たちの魅力の源泉。異性を惹きつけるエネルギー。一つになりたいと願うエネルギー。新しいものを創り出すクリエイティブなエネルギー。これぞ自分!というナチュラルな「あなた」のエネルギー。なのに、私たちは、なぜ、それをこんなに怖がるのでしょう。
それくらいに、私たちは、表面的にお行儀よくしていても、「いいよ、いいよ。どうせ一人で生きるから!」と「自立」していることにしがみつく、ということなんです。
自立の道は、デッドゾーンでめでたく行き止まります。
そこでは、観念してエゴが死ぬまで、ぐるぐると同じところを徘徊することになります。
「死の誘惑」と戯れ続けるか、「生きる」ことを選ぶか、その選択が頭の上にぶら下がった状態が続きます。
「セクシャリティ」は、「生きる」エネルギーですから、あなたがデッドゾーンにいる限りは、抑圧されています。そりゃそうですよね。デッドゾーン(関係性が死んだような状態の意識領域)ですから。
デッドゾーンの最後の最後に出てくる「疑い」は、「本当にこれでいいの?」「本当に信じていいの?」「やっぱり自分はムリなんじゃないの?」と執拗ですが、これこそが「親密感への恐れ」というヤツです。
そのときに上がってくる癇癪を手放すのは、恥ずかしさと惨めさオンパレードという体験ですが、その後に待っている甘酸っぱい感覚が、パートナーシップやフレンドシップのプレリュードです。
自分のセクシャリティを受け取るというのは、デッドゾーンを超えるということ。
自分に、
自分の人生に、
自分のパートナーに、
世界に、
I LOVE YOUと言うこと。
チャレンジする価値はありますでしょう?
あなたがあなたらしくいるときに一番セクシー
では、デッドゾーンを超えて、もう一度、あなたのセクシャリティを輝かせるにはどうしたらいいのでしょう。
セクシャリティを表現しようとすると、コンプレックスが邪魔することが多いです。自己嫌悪が上がってくるんですよね。
自分が自分を嫌っているときは、自分を愛してくれる人も「敵」になります。
変な話ですよね。
でも、あなたのことを大好きな人のことを「バカじゃないか?こんな自分を好きだなんて!」って思ったことはありませんか?
そして、誰かを愛したときには、「その人に愛されるような自分になりたい」と自分を変えようとします。
そして、「私が好きな人からは愛されず、好きじゃない人から愛される」と悩みます、よね?
これ、深層心理的には、全部、「自分のことが嫌い」と思っているとき、自分以外の何者かになりたいと思っているときの「投影」が見せてくれる世界なのです。
でも、こう思っているとき、あなたが、自分らしさという自分のセクシャリティを否定しているので、残念ながら、あなたの魅力は出てきづらいのです。
「ない」のではなくて、抑圧されているから出てきづらい。
こういうとき、必要なのは、今まで見せられなかった自分を誰かに受け入れてもらうこと。
男性ならば、壁を叩きながら「チキショー!」と吠えながら、男泣きに泣いて自分から見て「情けない自分」を男でも、女でも、黙って受け入れてもらうことかもしれませんし、
女性ならば、願わくば、男性の頑丈な胸板に受け止めてもらって、これも溶けるくらいに泣くこと、なのではないかしら。
エゴが死ぬのは、愛の中であって、戦場の真ん中ではないのです。
ブラッシュアップしたセクシーさを持ったあなたが現れますように。
love and abundance,
みずがきひろみ