【閑話休題】荒ぶるものと取っ組み合う忍耐力の美しさ

現在、パーソナルセッションは満席です。いつもありがとうございます。

自分の中にどうしても御し難い、「荒ぶるもの」があって困ったものだ、と思う人は少なくないのではないかしら。そこと取り組むのは、時間と労力がかかる忍耐力のいることですよね。でも、それが成された時の美しさはやっぱり迫力がある、と感じます。

こんにちは。みずがきひろみです。

今日もご訪問いただき、ありがとうございます。

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ひときわ光るモノはどこか違う

私は生活を彩る「モノ」が好きで、土器や陶器、磁器のような器や、布、紙、家具などの、使って愛でることのできるモノがオシャレだとテンションが上がります。

なので、食器や文房具など、身の回りで普段使いするものほど、使い勝手はもちろんですがデザインなどの美しさに拘りたくなります。

特に、漆器は、使えば使うほど、拭けば拭くほどツヤが出て美しくなる、「育てがい」のあるところが可愛くて、この15年ほど輪島の瀬戸国勝先生の作品を「オッカケ」ています。

東京の百貨店で、先生が展示会をされるときは、時間が許す限り伺っては、毎回、少しずつ器を買い求め、集めてきました。

どれも素敵な作品で、最初のうちは、あれも欲しい、これも欲しいと目移りするのですが、段々に目が慣れてくると、展示スペースをゆっくり見渡すと、いくつかひときわ光るモノがあることに気づきます。

「あの椿皿、かっこいい」なんてつぶやいていると、

「あの器の形はね、鎌倉時代にすでにあったんだよ」などと、先生が、制作の意図やプロセスを教えてくださいます。

時を経て、なお存在するモノ、使い続けられるモノには、その大きさや厚みなど、意匠設計に合理性と美しさの両方を兼ね備えていて、やっぱり迫力があるのです。

ホンモノは、廃れない。時代が変わっても、古くならないかっこよさがあるなぁ、と思うのです。

木は動き続ける

先日も、展示品を見ていると、酒器を載せている小ぶりの長方形のお盆にどうしても目が行きます。

私が、のっている酒器を外して、お盆を手にとって見ていると、先生の奥さまが近づいてこられて、

「それ、苦労の賜物なんですよ。あるお茶の先生に頼まれてこの寸法で作ったのですが、もう長い間乾燥させて寝かせてきた木なのに、いざ成形しようとすると木が動くんですよ。落ち着かせなくてはならなくて。今度は大丈夫か、と思うと、また動く。だから、お盆として落ち着かない。また、作業を止めて木を寝かせる、その繰り返しで。その度に、お客さまに納期が先になると謝るのが私の仕事ですから」

と屈託のない笑顔で苦労話をしてくださいます。

木そのものにあるクセが切り倒されて、乾燥を繰り返して、「板」になっても、なお、生きていて、空気中の水分をすっては、その姿を顕そうとする。その執念というか、生命力の強さと粘り強く向き合っては、漆を染み込ませ、かためていく、まるで荒ぶるものと取っ組み合うかのような仕事が想像されます。

これも、人の心と向き合うのと同じだな、と思います。

「変わりたい」のに「変われない」。自分の心の中の、御し難いものと、何度向き合い、納めようとしても、はね返り、失敗感とともに途方に暮れる、そんなプロセス。

そこから生まれる作品が迫力がないわけがありません。

「これは、その最後の一枚」だそうで、そう言われるとやっぱり欲しくなってしまいます。

忍耐力は受け入れる力

「永遠の忍耐は、一瞬の奇跡を生む」という言葉が、癒しの名著である『奇跡講座』(A Course in Miracles)の中にあります。

「えー!!!永遠に忍耐しなければならないの?!」と、これを読んだ時にはガックシきました。

でも、心のことを学んでいるうちにわかってきたのは、これって「現実を受け入れる」ことなのだ、ということです。起きていることを受け入れることができると、それまでどう頑張っても状況は変わらなかったのに、自然と世界が違って見えてきます。

自分がどうにも受け入れられなかったことの奥に「大きな愛」が働いていることに気づけると、心を弛めることもできます。すると、違う生き方があることに気付けたりします。これが奇跡なのです。

何かにつけて、心の法則は、私たちが「当たり前」と思っていることの「逆」を行くんですよね。

誰しも「クセ」はあります。

利き手の違いや歩き方のクセのように、心にも、「感じ方」のクセや、「思い方」のクセがあります。

自分としては自然にあるがままだとそうなるものですし、あるいは、長年の習慣で固められた「考え方」かもしれませんが、変えようとすると、痛みや違和感が出て、強い抵抗感に襲われることもあります。

そこと向き合う忍耐力は、自分の「クセ」を受け入れることから始まります。

左で箸を持てばラクにできることを、あえて右手で持って、「できない」情けなさを受け入れる。不便と悲しみや惨めさといった感情の両方を受け入れることになります。

もちろん、左利きだから左利きのままでもいいけれど、右も、左と同じくらい使える能力を獲得できたら、左の優位を失わずに両刀使いができます。

心の「クセ」も同じで、いつもなら「自分がダメ」と自己攻撃をするところを、「できなかった」事実と悲しみを受け入れてみます。これが、できるようにするために何ができるか、と考え始めるスタートになります。

ついつい苦労の多い道を選んでしまうのなら、「苦労を選びたいのだ」とまず受け入れてみると、自分がなぜそうしているのか、苦労することの隠れた目的が見えてきます。

「なるほど。自分はこんな人間になりたかったのか」。そんな深い想いに気づけると、納得ずくで目の前の課題に取り組めるようになります。

それは、「選べる」ようになる、ということ。

でも、そのためには、自分の元々の「クセ」を受け入れ、この違和感や抵抗感も受け入れるというプロセスがありますね。

めげそうになったら、この「お盆」に励ましてもらおう。

あなたの「取っ組み合い」も、報われますように、と健闘をお祈りしています。

love and abundance,

みずがきひろみ

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この記事を書いた人

みずがきひろみのアバター みずがきひろみ 心理カウンセラー・ビジョン心理学トレーナー

ビジョン心理学トレーナー。外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。14年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施。グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『きょうだいが苦手だ』(河出書房新社)、『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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