プロフィール Profile

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プロフィール Profile

1962年5月生まれ。

外資系の投資会社で株のアナリストとして活躍。自身の離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、神戸メンタルサービス代表の平準司氏に師事。

2008年1月から、カウンセリングサービス所属の心理カウンセラーとして活動を始め、これまでに8,000件を超える個人カウンセリングを行っている。

2014年からカウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスの講師/トレーナーを務めており、東京を拠点に全国で、心理学講座やワークショップを多数開催している。

著書に「母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法〜“あの人”が原因の生きづらさを抱え続けますか?〜」(河出書房新社)がある。

自己紹介 About me

こんにちは。

みずがきひろみです。

このページを見つけてくださって、ありがとうございます。ここで出会えたのも、何かのご縁だと思います。私が、これまで何をしてきて、どんなことを思ってきたのか、少し語らせて下さいね。こんなことを思っている私が、今、迷い、悩み、それでも前向きに生きていこうとしているあなたのお役に立てたら、嬉しいです。

モノとお金の自由が欲しかった20代〜30代。ビジネスの世界で「ホンモノ探し」をしていました。

私にとって、カタチあるモノって大事です。見て、触れて、感じられるモノに、「確かさ」と「安心感」を覚えます。ですから、美味しいものを食べて、シンプルで清らかなところに住んで、綺麗なものを着て、私が「美しい」と感じられるモノ、「好き」と思えるモノで、身の回りを埋め尽くしたいと子供の頃から思っていました。

華やかである必要はないのですが、質感がホンモノと感じられるモノが好きです。ステキなモノは、世の中にたくさんあります。オシャレなモノもたくさんあります。でも、私が大好きなのは、どんな場面でも、どんな時でも、通用するような汎用性のある美しさで、そういうモノって、白いご飯や白いシャツのようなシンプルなモノであることが多いように思います。

「あの服、ステキ!ああいうのが着たい」。「あのような家に住みたい」。

私がそう言うたびに、母は、「それができるような経済力を身につけなさい」と励ましてくれました。いつしか、「お金を稼げる人になりたい」と思うようになっていました。今になってみると、「お金を稼げる人」になりたかったわけではなくて、「お金(の縛り)から自由になりたかった(financial freedomが欲しかった)」のですが、当時は、まず「お金を稼げる」ことが大事だったのです。

ご縁があって証券会社に入社したのを皮切りに、20余年、外資系の投資会社で株式のアナリストとして運用に携わりました。株のアナリストは、会社のありようをリサーチして、将来性を鑑み、現在の株価が妥当か、成長性を見込み投資をするべきか、あるいは撤退した方がいいのかを判断するのが仕事です。いわば、会社や事業の価値を見極める、「目利き」のようなもの。私は、ビジネスの世界で、「ホンモノ探し」をしていました。

株価は、会社への他者評価です。みんなの期待が高まれば、実力以上の株価がつきますし、幻滅されれば存在価値を下回るところまで売られてしまいます。そんな他者評価と、その会社やビジネスの本質的な価値は、必ずしも一致しません。持っている資産や、人財や技術、ノウハウなどの資源が過小評価されている会社を見つけるのが喜びでした。「この会社、こんなにのびしろがある!」。「この会社、きっと変われる!」。そう思うとワクワクして応援したくなるではありませんか。

私たちがどこにお金を使うか、何に投資をするかは、私たちのココロが決めます。株価が上がるときは、私たちの多くが、「これからイイ!」と思っているということですし、下がるときは、私たちの多くが、「これからもっと悪いことになる」と怖がっているのです。こういう「みんな」のココロを、集合無意識と言います。

投資家は、「みんな」の意見に対して、「自分」はどう思うのか、を問われる仕事でした。

アナリストだった頃、よく海外の投資家に、「日本のいいところを教えてください」と聞かれました。自分は日本人ですし、「日本にはこんなにいい会社があります!」と言いたくて一生懸命に銘柄を探して提案しましたが、当時は、アジアの伸び盛りの会社や米国のGAFAに代表されるようなインターネットビジネスに比べると、正直、見劣りすることが多かったです。でも、それを認めてしまったら、自分の存在価値がなくなってしまうように思えて、そうは言えませんでした。

振り返って、あの時、「今の日本株よりも、投資価値のある株は他にいくらでもありますよ」と言えていたらよかったのに、と思います。日本人として、日本の価値を(他と比べて)それほどではないと言い切れるほどの自己愛が、当時の私には、まだありませんでした。でも、そんな正直さをもてるところに、アナリストとしての「ホンモノ」の存在価値があったのではないかと思うのです。

離婚、再婚、転職。「心でっかち」を目指した40代〜50代。「ホンモノ」の愛と癒しを探し続けました。

私は、自分自身の離婚問題をきっかけに心の癒しに興味を持つようになりました。30代の最後のことでした。

「いい」母、「いい」嫁、「いい」妻、「いい」職業人でありたかった私には、たくさんの、こうある「べき」というルールがあって、それができない自分にも、そう生きていない他者に対しても厳しい目を向けていました。思い出すと恥ずかしくなるくらい、自分の「正しさ」を周りに押し付けていました。一生懸命だったのは間違いなくて、余裕がなさすぎて、人が言ってくれることに耳を貸せなかったです。

「正しく」生きていたはずなのに、一番大切だった結婚生活が破綻してしまい、そのショックが大きすぎて、仕事ができなくなりました。何もかも、無意味に思えて、何もやる気がなくなったのです。

こうある「べき」と思って頑張ってきたことは、自分の幸せにつながらなかった。頑張ったからと言って「愛される」わけではなかった。そんな落胆が大きかったのです。ヤサグレましたよ(笑)。

心理学を学ぶようになり、大切なものを失ってしまったのは、私が「愛する」ことをサボっていたからなのだと知りました。やる「べき」ことをやっていたかもしれないけれど、十分に「愛して」はいなかった、と思いました。

もっと「心でっかち」になりたいと思ったのです。

「正しさ」よりも「幸せ」が大事なんだわ!それには愛よ、愛!

極端から極端に振れるように、「思考」よりも「感情」を大事にしたくなりました。頑張って、競争することよりも、感情を受け入れて、分かち合うことの方が大切だから、と、人と関わる時間をたくさん持つようになりました。

人の中にある「愛」や「優しさ」を見つけること、そしてそのことに感謝することを心がけるようにしました。

人は、驚くほど優しかったです。私が喪失から立ち直るのを見守り、応援してくれる人が本当に大勢いてくれることがわかり、ありがたみを感じました。新しいお友達もたくさんできましたし、疎遠になっていた旧友たちとの再会もあり、生きることがまた楽しくなってきました。一人ではないと思えるようになりました。

時間はかかりましたが、再婚し、40代半ばをすぎて、再度、パートナーシップにチャレンジすることも叶いました。昔の私ならば、「離婚」がまず「ありえない」ことでしたから、「離婚」して、その後、また恋愛して、子連れで「再婚」するなんて、想像もできなかったはず。それは私にとっては、まるで「奇跡」と言っていいような展開でした。

さらに、それまで続けていた投資の仕事も、指の間をすり抜けていくように手応えがなくなり、投資会社を辞めることにしました。ここからさらに20年、この仕事をしている自分がイメージできなくなっていたのです。

ずっと細々とボランティアでカウンセリングをしていましたが、ここからは心理カウンセラーとして生きていこうと決めました。2006年のことです。2008年から、カウンセリングサービスの心理カウンセラーとして活動をさせていただいておりますので、今年で満13年になります。おかげさまで、8000件以上の個人カウンセリングをしてまいりました。

カウンセリングサービスのカウンセラーは、全員、神戸メンタルサービスでトレーニングを受けております。

神戸メンタルサービスには、一つ大きな特徴があって、それは、どんな問題も「愛が無い」ことから生じるので、その状況をどう「愛」の視点から捉え直すことができるかを考えましょうというものです。なので、カウンセラーを目指す以上は、自分の愛のキャパシティを広げ続けることにコミットすることになります。

私たちは、常に、自分の心の中にある「思い」を外側の世界に映し出しています。それも、自分が「自分ごと」として受け入れがたいことほど、「他人ごと」にして、自分から切り離します。これを心理学では「投影」と言います。

もともとが自分の「思い」だったのですから、自分が受け入れがたい「誰か」や「何かの状況」を「許す」ことは、そのまま自分の心の奥底にある「思い」を許すことになります。これを心理学では「投影の引き戻し」と言います。投影を引き戻すためには、相手を許し、自分も許すことが必要になります。

そんな、とてもシンプルだけれど、実践しようとすると、時にものすごく難しいことを、愚直にやろうとするところが、私は好きです。「ホンモノ」は、「モノ」であれ、「ココロ」であれ、シンプルだ、と思うのです。

「許そう」として、コツコツと人の愛や優しさを見つける繰り返しの中で、自分の潜在意識や(集合)無意識も許されて癒されていくと、見えるものがみんな「いい」ものになっていきます。これこそが心の「豊かさ」(abundance)なのだと思います。

人間ですから、ネガティブな感情からまったく自由になる日が来るわけでもないかもしれませんが、それでも、私は、昔に比べてずいぶんと短い時間で、抜けられるようになりました。なので、落ち込んでも、きっと大丈夫、と思うようにもなりました。

「欲しい」と思う以上に、「手に入るはずがない」と思うと、その通りになってしまいます。自分が自分に「欲しいもの」を手に入れさせないような意地悪をしていることも多いです。その犯人は、多くの場合、「罪悪感」と「恐れ」です。それも、本人が気づいていない潜在意識、無意識のレベルで、持っている「罪悪感」や「恐れ」なので、一人ではなかなか対処不能です。

だからこそ、周りの人を許して深く愛そうとすることでしか、自分を許して、自己愛を高めることができないのでしょう。人を許すことは、癒しの基本なのですが、究極の自己愛を上げる道も、「許し」続けることなのです。

あなたの周りで、あなたの欲しい「幸せ」を手に入れている人を許してくださいね。あなたもその「幸せ」を手にするために。

これから目指したい世界は、もっとシンプルで自由。carefreeに生きる幸せを分かち合いたい。

お金の縛りからの自由。

「べき」(役割)からの自由。

罪悪感からの自由。

そんな順番で取り組んできて、もちろん完璧はありませんが、だんだん生き方が自由になってきているように思います。

キャリア的には、最初の20年はお金を中心とした「モノ」の豊かさを受け取るための時間でした。その次の20年は、心理学を学ぶことで、心の世界の不思議さと豊かさを探求する時間でした。

ここからは、これまでに受け取ったものを、「モノ」のレベルでも、「心」のレベルでも、社会に還元していけたら幸せだと思っています。

よく「神さまとともに歩く」という比喩を使いますが、集合無意識の「愛」に導かれながら、必要とされるところで、シンプルに愛し、愛される幸せを分かち合いたいもの。そのために、

思い込みからの自由、

心配からの自由がある、

そんな極楽とんぼ的な生き方ができたらステキなのに、と思っています。

carefreeというのは、careless(不注意)でもなく、careful(注意深く)もない、注意することそのものから自由になること、という意味です。

起こることすべてが、きっと「いい」ことにつながっているのだとしたら、余計な心配は無用。それくらい人生を信頼できたら、人生の下り坂も楽しく生きられそうです。

この20年、心理学の知識も、癒しのスキルも、お道具箱の引き出しを増やしたくていっぱい学んできました。心のことは大好きなので、これからも学び続けますが、私にとって「癒し」もどんどんシンプルなものに収斂してきています。

何事も、ホンモノはシンプル。

私のカウンセリングも、どんどんシンプルになっているように思います。

ただ、真摯にお話を聴くこと。

そして、「愛」をもって目を見つめて、ご一緒に悲しむこと。

私にできることは、この二つだとわかったので、それを一生懸命させていただきます。

人生の岐路に立ち、迷ったとき、悲しみにくじけそうになったとき、背中を押して欲しいときに、「話してみたい」と思っていただけたら、とても嬉しいです。

私の歩いてきた道のりが、誰かのお役に立つならば、こんなに幸せなことはありません。

love and abundance,

みずがきひろみ

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