こんにちは。みずがきひろみです。
お客さまの方から「ブログで取り上げて下さい」と「お金」の話で、具体例を提供していただきました。
ありがとうございます。素直に、嬉しい。
みずがきカウンセラーへ
私は今まで自分の欲を禁止したり、あまり良いものと扱ってこなかったと感じました。
これからは遠慮なく自分の喜びに使おうと思います!
ところで先日、車のサイドミラーをぶつけてしまい、思ったより修理代がかかるとの事で落ち込んでいます。
こういった事は自分も責めますし、修理代ももったいないと思います。
やはり罪悪感でしょうか?
ブログなどで「どのようにとらえればいいか」というのを取り上げていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!
自分の「欲」(ニーズ、ウォンツ、願い)とどうつきあうか
お金は、「交換」の道具です。
私たちは、自分の「欲」を満たすために、「お金」と「何か」を交換します。
食欲を満たすために、「食べ物」を買う、つまり「お金」と「食べ物」を交換しますし、
「楽しみたい」というニーズを満たすために、映画館に行き、「お金」と「鑑賞券」を交換します。
映画館に行くためには、「電車賃」を払わなくてはならないかもしれませんね。
なので、良くも悪くも、自分の「欲」を満たすことに強い「欲」がある人ほど、お金を手に入れやすいと言えます。
別に「いい人」である必要はありません。
逆に、「欲」が無い人は、「お金」も必要としませんから、お金が入ってきにくいかもしれません。
おっしゃるように、自分の「欲」を悪者扱いせずに、「自分を満たす」ことを楽しむことができれば、「お金」とも仲良くできます。
とはいえ、「お金」で「交換」しているものは、モノとサービスだけではありません。
無自覚なことが多いですが、私たちは、「お金」のやりとりを通して、感情もやりとりします。
「お金」で「喜び」をやりとりできるといいですよね。
突然の痛い出費は、どう考えるか
「車のサイドミラーをぶつけてしまい、思ったより修理代がかかるとのことで落ち込んでいます」。
ありますよね、こういうこと。
せっかく気持ちを明るく持って、「お金で楽しみを買うぞー」なんて思っていたら、コレ。
いきなり冷水をかけられたような。
「なんでー?楽しんじゃいけないっつうの?」と、いきり立ちたくなるような。
こういう時、最初のショックと「受け入れたくない」という怒りが通り過ぎる辺りから、私は、こんな風に考えることにしています。
修理代、◯万円かかるってよ。
痛いねー。
痛い。痛い。
そそっかしくて落ち込むわ〜。
ふーん。その「落ち込み」を買うために◯万円も払ってるんだ。
そっか。私、落ち込みたくて、ミラーぶっつけたんだ。
なぜ、自分はダメだ、って落ち込みたかったの?
あなたは何に怒ってるの?
怒ってる?!
そうよ。だって、思いっきり自分に「バカー」って叫びたかったんじゃないの?
確かに。そう言えば、お返事してなかったメールがあって、しまったなぁと思っているし、やるって決めたはずの朝活も三日坊主になってるし、、、。何より、ダーリンに、なぜわかってくれない、って怒ってる。
ダーリンがわかってくれない、ってことは、自分が自分のことをわかっていないってことかもしれないわよ。自分の心にウソをついて誤魔化していることはない?そういう我慢は、ツモるよ。
なるほどね。いい顔をして我慢しているけれど、本当は、やりたくないことをやりたくないって、言わなければいけないってことかしら。
例えば、の話ですけれど。
自分に痛い思いをさせているのですから、「罪悪感」がある、ということに違いないのですが、「罪悪感」は、何に罪悪感を持っているのか考えても、よくわからないことが多いのです。
それよりも、「何に怒っているのだろう?」と自分に聞いてみた方が、答えがでてきやすいです。
怒っていることを書き出してみる。
そうすると、自分ができていなくてまずったなぁ、と思っていることが数珠繋ぎに出てきます。
些細な出来事が多いかもしれません(メールのお返事やちょっとした会話の行き違いなど)。
なかでも、最も腹立たしいことは、いつだってパートナーに関することか、親、子、兄弟、そして親しい友人や上司との間で起こるもの、です。
なので、パートナー、親、子に抱えている「割り切れない」思いを振り返ってみると、そこには
「上手に愛せなかった」罪悪感があります。
あくまでも私の経験上ですが、この「上手に愛せなかった」罪悪感の中に、
本当に言わなければならなかったこと、やらなければならなかったことをしていない
というものがあります。
そして、その中でも見つけにくいのは、
自分が本心を伝えていない
というものだと感じています。
本人的にわかりにくい罪悪感は、一見、いいこと、正しいことをしているのに、自分を責めている時のもの。
そんな時は、一見、いいこと、正しいことをしているのだけれど、それが本心とは違うかもしれません。
一つ、一つ、自分の生活の中で感じる「自分の気持ち」をもう一度大切にすることで、
自己愛
を上げていきませんか?
今日も幸せ。明日も幸せ。そんなずっと続く幸せを見つけられますように。
love and abundance,
みずがきひろみ