「私、恋愛下手なの」。
そんな、恋愛を苦手に感じて、コンプレックスを抱えているのは、きっと「親密感への恐れ」が強いんだ、とお気づきの方も少なくないでしょう。
そう。親密感を感じ始めると逃げ出したくなるのですから、恋愛を苦手に感じてしまうわけです。
社会的にはうまくやれているはずなのに。どうして、恋愛になるとヘタを打つのだろう?訳わからないわー。
そんな方は、もう、リクツはともかく、やりたくないかもしれませんけれど、コレをやってみてください。
シンプルに、コレに尽きるんです、残念ですけれど。
こんにちは。みずがきひろみです。
アメブロの【恋愛テクニック】にUPした記事です。
「親密感への恐れ」の正体
恋愛が下手。
親密感を感じ始めると逃げ出したくなる。
微妙な距離感を感じるといたたまれないから、「近くのか、離れるのか、はっきりしろ!」と白黒させたくなっちゃう。
誰かと50センチくらい離れたところに立ってみてください。何とも居心地が悪い感じがしてくるのではないかしら。
そこからさらに近く入ってくる人は、もう「特別な人」ですよね?
この至近距離の関係性で感じる「恐さ」が、「親密感への恐れ」なのです。
「親密感への恐れ」は、平たく言っちゃえば、「愛されることへ恐れ」です。
私たちは、めちゃくちゃ「愛される」ことを望んでいるくせに、
実際に愛されそうになると怖くなって、逃げ出したくなるんです。
「嫌われる」ようなことをしでかします。
暗に、「あっちへ行って!」メッセージを出します。
「愛される」ことがめちゃくちゃ怖いのは、
恥ずかしくて溶けてなくなってしまいそうになるから、です。
何が?
エゴが、です。
エゴは、「愛」以外のすべての気持ち。
「私なんて」。
「どうせ僕なんか」。
そう言いたくなる気持ちのことを言います。
人と50センチの距離に来ると、
「キケン、キケン」と心がドキドキします。
ここを越えるとすごく愛されちゃうかも。愛しちゃうかも。
そうしたら離れられない。別れるのが辛すぎる。嫌われたら生きていけないかも。
ありとあらゆる最悪の想定が出てきます。
もう「疑い」の嵐。
そんな別れ、経験したことあるのでしょうか、私たち。
実は、あるんです。
私たち、みんな、「お母さん」と別れているんです。
別れ方は、人それぞれですけれど。
もう覚えていませんけれど、「誕生」だって、「別れ」だったのです。
「親密感への恐れ」を辿ると、バーストラウマ(誕生の痛み)に触れます。
生まれてから、二つ身として、お母さんと再度関係性と作り直します。
これがうまくいって、親密感を感じられた人は、
思春期を超えて、大人同士として関係性を作り直すときも比較的スムーズにできるかもしれません。
でも、子供時代に親密感を受け取れないと、
「愛される」ことに信頼を置けなくて、大人同士として、パートナーと、あるいは親子として親密な関係性をもとうとするときに、この「疑い」の嵐に圧倒されちゃうんですね。
そこを強行突破しようとしても、「恥ずかしさ」で死にそうになって、顔面硬直しっぱなし。相手からはちっとも楽しそうに見えない、なんてことになっちゃうんです。
恋愛の鬼門は「お父さん」?それとも「お母さん」?
心理学を学び始めると、あらためて「親」の影響力の大きさにびっくりします。
私たちの感情体験の基礎は、子供の頃に出来上がります。早ければ6歳まで、遅くとも10歳くらいまでに、少なくとも人間関係で感じる感情については、「世界とはこういうものだよ」という概念を獲得すると言われています。
そのときにあなたの世界にいた人たちを思い浮かべてみてください。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹、おばあちゃん、おじいちゃん、、、。その人たちの人間模様から学んだことがいっぱいある訳です。それは、まるで箸の上げ下ろしを学ぶように、学ぶとも思わず学んできた訳です。
そこで学んだことを、大人になっても、自分の周りの世界に当てはめて、世界を理解しようとするのですから、さまざまなズレや誤解が起きるのは致し方ありません。みんながそれを、知らず知らずのうちにやっているのですから。
あなたの「大人の男性」というものの基準が、「お父さん」や「おじいちゃん」、「お兄さん」だとすると、あなたは「男性」をどういう人だと思い込んでいるでしょうか?
あなたの「大人の女性」の基準が、「お母さん」や「おばあちゃん」、または年の離れた「お姉ちゃん」だとしたら、あなたにとって「大人の女性」とは、どういうものだと感じているでしょうか?
「お父さん」や「おじいちゃん」に対して、怒りや悲しみがあれば、恋愛では、「そうではない人」をパートナーに求めますが、どういうわけか、つき合う人がみんなしばらくすると「お父さん」や「おじいちゃん」の困ったところを持っていることに気づいてしまう、なんてことがよくあります。
「お母さん」や「おばあちゃん」に対して、怒りや悲しみがあると、恋愛では、違うタイプをパートナーに求めますが、しばらくするとやっぱり自分のパートナーが「お母さん」や「おばあちゃん」と同じことをしているのに気づきます。
男性ならば、「お父さん」や「おじいちゃん」に何らかの葛藤を感じていれば、自分が「大人の男性」になることに強い葛藤を覚えるかもしれません。
女性ならば、「お母さん」「おばあちゃん」に怒りがあれば、「大人の女性」になることにものすごく恐さがあって、結婚や出産といった女性に与えられている「幸せ」を受け取れないということもあります。(結婚や出産の悩みはそれだけが理由ではありません。)
その人の生育歴によって、恋愛のブロックが、「お父さん」や「おじいちゃん」との葛藤にあるのか、「お母さん」や「おばあちゃん」との葛藤にあるのかは違います。
本当は、「お父さん」からも「お母さん」からも愛されていいのですが、子供の頃に「どちらかの味方をしなければいけない」と思い込んでしまうと、素直に、「愛される」というのが難しいと感じてしまいます。
「自立」型のラスボスは「お母さん」
特に、「自立」型の人は、「自分で何でもやらなければいけない」が人生のマントラになっていますから、誰かの世話になるとか、甘えるとか、そういう甘い関係性はいけないのではないかと思いがちです。
何だか気持ちが悪いのです。
この「気持ち悪さ」には、実は、「お母さん」への罪悪感が隠れています。
「お母さん」に世話になったことを「なかったこと」にしたい気持ち、と言ったらいいでしょうか。
「自立」型の女性は、「お父さん」が大好きな人が多くて、「お母さん」のことが好きでも、ちょっと「弱いもの」として見たい気持ちがあります。男性ならば、「お母さん」のナイトになりたい、という気持ちが強いかもしれませんね。
自分の方が「上」に立ちたいという気持ちと、「甘えたい」という気持ちが葛藤するので、近づきたいけれど、近づけない。愛したいけれど、愛せない、みたいな微妙な立ち位置になってしまいます。
愛せないと、「愛された」と思うと罪悪感でいっぱいになるので、「愛された」ことを「なかったこと」にしたくなるんです。
この「愛された(はず)なのに、そこまで自分は愛していない(感謝していない)」という思いがあると、この罪悪感を帳消しにするために、相手の期待に応えなければならない、とすごく頑張りやさんになります。
「お母さん」の期待に応えたときに初めて、愛に応えられたような気持ちになる、と思い込んでいるのです。
でも、本当は、「愛された」ということを認めるだけでいいんですけれどね。
それが死にたくなるほど恥ずかしいんです。
そこを超えていくために、「ありがとう」と「ごめんなさい」をきちんと言えるようになりたい。
簡単なことが、実は、一番難しいものなんです。
特に、一番近しい人との関係性では。
この「ありがとう」と「ごめんなさい」が罪悪感を解く、特効薬なんです。
今日も幸せ。明日も幸せ。そんなずっと続く幸せを見つけられますように。
love and abundance,
みずがきひろみ