こんにちは。
みずがきひろみです。
明日、『”いい人”のための「お金」に強くなるワークショップ 』を開催します。
「お金が欲しい」と言うのは、 恥ずかしいことでしょうか?
「お金が欲しい」から「頑張る」のは、かっこ悪いのでしょうか?
「欲しいのはお金じゃないから」。
それはわかります。
「お金」より「欲しいもの」があります。
でも、そう思えることが、もしかしたら、幸せなのかもしれません。
「お金が欲しい」のは、その「お金」で、自分や自分の大切な人にしてあげられることがあるから。
そこに「愛」も、「夢」もありますよね。
シンプルに、「お金」を「愛」や「夢」を実現する道具の一つとして使えればいいのに。
そもそも道具に過ぎないのですから。
先週、香港に弾丸ツアーに行きました。
日曜日のお昼の香港は、公園、広場が主にフィリピンから出稼ぎに来たメイドさんたちで埋め尽くされます。
これだけの女性労働者が、「家の中」にいたのか、と初めて見る方は、皆さん、びっくりされるのではないかしら。本当に、凄い人出なのです。
「高額所得者だけがメイドを雇っているわけじゃないんだね、この人数ってことは」。
今回、初めて香港を訪問したダーリンが唖然として言いましたが、その通りで、共働きの家庭なら、ほぼほぼ家事労働をメイドに頼っているのではないかしら。その分というか、香港の人たちはよく働きます。朝、早くから、夜、遅くまで。チャキチャキと。
そんなライフスタイルを推奨したいわけではありません。
ただ、「お金を稼ぎたい」ということに正直に生きているのが、ある意味、清々しくもあるな、と感じました。
複雑な理由や、歴史的な背景があることで、そんな単純なことではないと叱られてしまうかもしれませんが、 それでも「お金が欲しい」と悪びれずに言えるのは、いいんじゃないかしら。
だからと言って、別に、守銭奴のようではなくて、男性は、女性にとても優しい人が多いですし、老舗ほど、ローカルの贔屓筋を大事にした商売をしていて、「儲けられるところは儲けよう」という所と義理を守る所がちゃんと共存しています。ハートを感じるところもいっぱいあります。
”いい人”であることと、「お金が欲しい」は両立しますよ。
「お金」を喜びの道具にするか、「痛み」の象徴にするか。
それは、「お金」の使い手にかかっているのですから。
明日、お会いできるのを楽しみにしてますね。
love and abundance,
みずがきひろみ