【お金の心理学】車の修理代は、私の罪悪感のあらわれですか?

1月の神戸メンタルサービスのオンライン講座で「お金の心理学」を取り上げました。(神戸メンタルサービスは、カウンセリングサービスのカウンセラーの母校です。みずがきはこちらでも講師をしております。)

例年、カウンセリングサービスの心理学ワークショップで、4時間と2時間の2本のワークショップで計6時間かけてお話ししてきた内容を、2時間で話そうなんて、ムリ筋なことをして、説明しきれなかったことにその後も「うーん、うーん」と唸っています。

こんにちは。みずがきひろみです。

伝えたいのに、言葉足りずで凹んでいるところに、受講生の方から「ブログで取り上げて下さい」と具体例を提供していただきました。

ありがとうございます。素直に、嬉しい。

みずがきカウンセラーへ

先日のお金の講座を見直し配信でまた拝見しています。

私は今まで自分の欲を禁止したり、あまり良いものと扱ってこなかったと感じました。

これからは遠慮なく自分の喜びに使おうと思います!

ところで先日、車のサイドミラーをぶつけてしまい、思ったより修理代がかかるとの事で落ち込んでいます。

こういった事は自分も責めますし、修理代ももったいないと思います。

やはり罪悪感でしょうか?
ブログなどで「どのようにとらえればいいか」というのを取り上げていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!

目次

自分の「欲」(ニーズ、ウォンツ、願い)とどうつきあうか

お金は、「交換」の道具です。

私たちは、自分の「欲」を満たすために、「お金」と「何か」を交換します。

食欲を満たすために、「食べ物」を買う、つまり「お金」と「食べ物」を交換しますし、

「楽しみたい」というニーズを満たすために、映画館に行き、「お金」と「鑑賞券」を交換します。

映画館に行くためには、「電車賃」を払わなくてはならないかもしれませんね。

なので、良くも悪くも、自分の「欲」を満たすことに強い「欲」がある人ほど、お金を手に入れやすいと言えます。

別に「いい人」である必要はありません。

逆に、「欲」が無い人は、「お金」も必要としませんから、お金が入ってきにくいかもしれません。

おっしゃるように、自分の「欲」を悪者扱いせずに、「自分を満たす」ことを楽しむことができれば、「お金」とも仲良くできます。

とはいえ、「お金」で「交換」しているものは、モノとサービスだけではありません。

無自覚なことが多いですが、私たちは、「お金」のやりとりを通して、感情もやりとりします。

「お金」で「喜び」をやりとりできるといいですよね。

突然の痛い出費は、どう考えるか

「車のサイドミラーをぶつけてしまい、思ったより修理代がかかるとのことで落ち込んでいます」。

ありますよね、こういうこと。

せっかく気持ちを明るく持って、「お金で楽しみを買うぞー」なんて思っていたら、コレ。

いきなり冷水をかけられたような。

「なんでー?楽しんじゃいけないっつうの?」と、いきり立ちたくなるような。

こういう時、最初のショックと「受け入れたくない」という怒りが通り過ぎる辺りから、私は、こんな風に考えることにしています。

ひろみA

修理代、◯万円かかるってよ。
痛いねー。

ひろみB

痛い。痛い。
そそっかしくて落ち込むわ〜。

ひろみA

ふーん。その「落ち込み」を買うために◯万円も払ってるんだ。

ひろみB

そっか。私、落ち込みたくて、ミラーぶっつけたんだ。

ひろみA

なぜ、自分はダメだ、って落ち込みたかったの?
あなたは何に怒ってるの?

ひろみB

怒ってる?!

ひろみA

そうよ。だって、思いっきり自分に「バカー」って叫びたかったんじゃないの?

ひろみB

確かに。そう言えば、お返事してなかったメールがあって、しまったなぁと思っているし、やるって決めたはずの朝活も三日坊主になってるし、、、。何より、ダーリンに、なぜわかってくれない、って怒ってる。

ひろみA

ダーリンがわかってくれない、ってことは、自分が自分のことをわかっていないってことかもしれないわよ。自分の心にウソをついて誤魔化していることはない?そういう我慢は、ツモるよ。

ひろみB

なるほどね。いい顔をして我慢しているけれど、本当は、やりたくないことをやりたくないって、言わなければいけないってことかしら。

例えば、の話ですけれど。

自分に痛い思いをさせているのですから、「罪悪感」がある、ということに違いないのですが、「罪悪感」は、何に罪悪感を持っているのか考えても、よくわからないことが多いのです。

それよりも、「何に怒っているのだろう?」と自分に聞いてみた方が、答えがでてきやすいです。

怒っていることを書き出してみる。

そうすると、自分ができていなくてまずったなぁ、と思っていることが数珠繋ぎに出てきます。

些細な出来事が多いかもしれません(メールのお返事やちょっとした会話の行き違いなど)。

なかでも、最も腹立たしいことは、いつだってパートナーに関することか、親、子、兄弟、そして親しい友人や上司との間で起こるもの、です。

なので、パートナー、親、子に抱えている「割り切れない」思いを振り返ってみると、そこには

「上手に愛せなかった」罪悪感があります。

あくまでも私の経験上ですが、この「上手に愛せなかった」罪悪感の中に、

本当に言わなければならなかったこと、やらなければならなかったことをしていない

というものがあります。

そして、その中でも見つけにくいのは、

自分が本心を伝えていない

というものだと感じています。

本人的にわかりにくい罪悪感は、一見、いいこと、正しいことをしているのに、自分を責めている時のもの。

そんな時は、一見、いいこと、正しいことをしているのだけれど、それが本心とは違うかもしれません。

一つ、一つ、自分の生活の中で感じる「自分の気持ち」をもう一度大切にすることで、

自己愛

を上げていきませんか?

今日も幸せ。明日も幸せ。そんなずっと続く幸せを見つけられますように。

love and abundance,

みずがきひろみ

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この記事を書いた人

みずがきひろみ みずがきひろみ 心理カウンセラー

カウンセリングサービス所属心理カウンセラー/神戸メンタルサービス講師・トレーナー。外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。自身の離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。13年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施、グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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