平和を祈りながら、目の前の「小さな戦争」とどう向き合いますか?

5月スタートのパーソナルセッションは、おかげさまで満席となりました。(5/8)

ロシアとウクライナの間で戦争が始まってしまいました。

一度手をあげてしまうと、なかなか下げられないものなので、起きないでほしいなと思っていましたのに、残念です。

平和を願う人が多く声をあげているのは、とても心強いです。SNSの普及で、統制や操作があっても、ボトムアップで、人の声が上がりやすいのも希望が持てます。

問題は、どの情報を信じたらいいのか、プロパガンダの応酬でよくわからないことでしょう。

私は、戦争に「正しい」も「間違っている」もない、と考えています。痛みを作ることに変わりはありません。

それにしても、不安を感じている方は多いのではないでしょうか。

私自身も、しばらく、理由もなく、胃が落ち着かなくて眠れないほど怖れを感じていたので、ニュースを聞いたとき、この「怖れ」や「不安」は、私一人のものではなくて、多くの人が同じように感じているものなのだと理解しました。

パーソナルセッションをしていても、

「なんだか、イライラする、怒りっぽくなっている、不安で落ち着かない」、

と感じている方が多いようです。

信頼できる人たちとつながり、お互いに思いやり、励まし合って、ここを超えていけたらと願っています。

こんなとき、私がどう考えて、何をしているかを分かち合わせてください。

もし、どなたかのお役に立てたら、幸いです。

目次

「正しい戦争なんかない」ことを思い出す

戦争に「正しい」も「間違っている」もない。

私はそう思っています。

戦争を仕掛ける者は、必ず「大義」を振りかざします。

人を傷つけ、殺すことの言い訳です。どんな理由であったとしても、それが「正しい」とは思えないです。

戦争にまつわる報道は、国のスタンスの正当化であることが多いので、私はあまり信頼していません。

事実ではないというより、世論を操作する意図を持って報道内容が選ばれているかもしれないと思うので、あまり意識を向けないようにしています。

正しい、間違っている。

加害者、被害者。

勝者、敗者。

つい二つの極のどちらかに肩入れしたくなりますが、それでは「対立」そのものに加担してしまいそうです。

同じ戦うにしても、何と戦うのか?

私たちは、いったい何を目指しているのでしょう?

あなたは、何を目指す人ですか?

先日、「平和は土台であって、目的地(終点)ではない」という言葉を聞いて、

とても共感しました。

古より、「繁栄」は、すべて「平和」があってこそ。

アバンダンス、つまり溢れるほどの豊かさを受け取るには、「平和」は必要条件なのです。

戦争は、お金をはじめとするエネルギーを、私たちの生活や喜びにではなくて、武器や戦いに投入することになります。

そして、恨みと憎しみという負の遺産をつくる、ということを先人たちは教えてくれています。

「戦いたくない」という人たちが声をつなげるのを見ると、ほっとする私がいます。

どうか一日でも早く、武力衝突を辞めて、表面上であっても「平和」を実現できますように。

そこがスタートラインなのですから。

世界の構造は皆同じだとしたら、目の前の「小さな戦争」とどう向き合うかこそが貢献かもしれない

心理学では、「フラクタル」という言葉があって、

私たちが体験することのすべては、大きな絵と同じ構造を持ったその断片なのだ、という見方をします。

例えば、子供が学校でいじめられていたとします。

問題を、そのいじめに関わった子供たちの性質や性格、現場の監督管理のあり方に帰すこともできます。

が、往々にして、子供がいじめられていた学校で、先生どうしの間に「いじめ」のようなハラスメントが存在していたり、

先生たちが、「教育委員会」やモンスターペアレント、オンブズマンから必要以上に責められている、

といった階層構造が存在することが知られています。

子供や関係者をサポートするだけではなくて、

教育現場のシステムそのものを見直すことが有効だ、と言われる所以です。

カウンセリングやコーチングでも、

お客さまの問題の本質を探るために、

同じ問題が、他のところでも起きていないだろうかと、

視点を変えて見直す、という作業をよくやります。

例えば、セックスレスの問題に取り組むとすると、

いきなりセックスレスをなんとかしようとするよりも、

これをコミュニケーションに関する問題と、大くくりで捉えて、

セックスレスに至る関係性のブロックを、

話しかた、聞き方などの、もう少し取り組みやすいところから変えるご提案をします。

一事が万事と言いますが、

私たちが直面する問題は、大小さまざま、多岐にわたりますが、

その影響力の大きさや領域にかかわらず、問題の構造そのものは同じであることが多いです。

なので、小さくても、違う分野でも、同じ構造の問題に取り組むことで、

大きな問題を解決するための突破口を見つけられます。

一心理カウンセラーとして、

私たち一人一人ができることを考えると、

それは、自分の目の前の「小さな戦争」と自分がどう向き合っているかを振り返ることかな、と思います。

私たちの心の中にいる、

プーチン、ゼレンスキー、ロシア、ウクライナ、ポーランド、ドイツ、ルーマニア、ヨーロッパ諸国、米国、日本、、、

に気づくこと。

そして、それぞれの思いを受けとめていくこと、でしょうか。

そして、目の前の「小さな戦争」をどう収められるか、を考えることではないでしょうか。

そのために、これまで戦ってきた、どの「思い」とつながりますか?

そのことで、安心させてあげられる人はいますか?

喜んでくれる人はいますか?

何を、どんな世界を選びたいですか?

ものごとがうまくいっている時は、流れに乗ることが大事で、

リラックスして、起こることを喜び、楽しむ、「受け取る」マインドがあると、

幸運が次の幸運を運んでくるように、人生が展開します。

世の中が、なんとなくキナ臭くて、落ち着かなくて、不安に苛まれる時はどうでしょうか。

見通しが悪くて、気持ちが混乱しやすいときほど、「ヴィジョン」が必要です。

「ヴィジョン」は、あなたの人生のミッションのようなもの、です。

  • あなたは、どんな世界を作り出したいですか?
  • あなたは、この人生でどんな体験をしたいですか?

この二つの問いの答えになるもの、と考えてみます。

もし、自分が、自分の人生を通して作り出したい世界やしたい体験をはっきりと自覚できていたら、

たとえ世の中の動きが急で、不安にかられることがあっても、

ゴールがわかっているから、

自分は、何をすべきか、何を選んだらいいのか、どうあればいいのか、

考える指針があるから、それほどブレずにすみますね。

あなたの大切な人たちに、自分の態度や行動を説明することもできます。

ガタガタしているときこそ、「ヴィジョン」があると、

何を、何のためにするのかが決まっているので、落ち着いていられます。

ポジティブな「否認」という選択もあります

心理学で「否認」というときは、

狭義では、自分の感情や思考、観念を、自分のものとして認識できないことを言います。

例えば、夫が突然不慮の事故で亡くなった場合、その事実があまりにショッキングで、

心が、パートナーの死を認められずに、夫が生きているかのように生活をし続けることがあります。

事実と向き合えないために、時が止まり、怒りも悲しみも感じられず、痛みがなかなか癒えません。

癒しが進まないので、「否認」はネガティブな意味で使われることが多いのですが、

ポジティブな「否認」もあります。

わかっているけれど、そこにエネルギーは注がない、という意思を持つことも「否認」する、と言います。

葛藤がある。

対立がある。

小さな戦争がある。

向き合う、ということは、それをしっかりと見ること。

しっかり見た上で、どちらか一方の肩を持つこともあるでしょうし、

二つの(あるいはそれ以上の)見方、考え方の間に橋をかけて調整する、あるいは統合しようとすることもあります。

あるいは、そのどちらでもない方向を目指して、葛藤や対立がそこにあることを知りつつ、

前にすすむ、

という選択肢もあります。

お母さんとおばあちゃんの間に「小さな戦争」がある、とします。

あなたは、二人ともを愛し、二人から愛されている、緩衝材のような存在だとします。

どちらかの味方につくことは、どちらかを裏切るような気持ちになるでしょう。

二人の間に橋をかけようと伝書鳩のようなことをやっても、自分が消耗するだけで埒があきません。

でも、二人の間に緊張関係があることは知っているけれども、

あえてそこにはエネルギーを注がない、と決めることはできます。

さらに、二人ともが含まれる、大きな家族にとって最善と思われることだけを心がける、

というあり方を選ぶこともできます。

この「大きな家族にとって最善」が、「ヴィジョン」になります。

みんなにとってのベスト、みんなが幸せでいられる、という「ヴィジョン」があれば、

そのための態度と行動だけをする、という選択肢があるのです。

心はつながっているから祈らずにいられない

私たちが「小さな戦争」とどう向き合うかは、「大きな戦争」とどう向き合うかの雛形になります。

国と国の戦争、しかも、他の国どうしの戦争となると、

苦しんでいる人たちがいることに痛みを感じても、

何もできることがないと無力感を覚える人もいるでしょう。

手が届かない。

あるいは、何を言ってもどうにもならない。

何をしても焼け石に水で、役に立たないのではないか、と無意味に感じることもあります。

それでも、祈ることはできます。

私たちの心には、すべてとつながっているところがあるようなのです。

祈ることで、心のその領域に働きかけることはできます。

私が見たいのは、恨みや憎しみを作り出すような世界ではありません。

私は、もっとお互いをリスペクトし合える世界が見たいです。

お互いの素晴らしさを認め合い、助け合い、慈しみ合える世界が見たいです。

それも平和という土台あってのこと。

だから、まずは平和を取り戻せることを祈ります。

私の心が平和でありますように。

世界が平和になりますように。

あなたの心も平和で穏やかでありますように。

love and abundance,

みずがきひろみ

* この記事は、みずがきひろみのメールマガジン〜life in abundance〜に寄稿した記事をブログ用に編集したものです。メルマガは、毎週金曜日に発行しています。タイムリーに、みずがきがその週に感じたことを題材に、自分を知り、自分を好きになるコツをお届けしています。よろしければ読者登録をしてくださいね。

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この記事を書いた人

みずがきひろみのアバター みずがきひろみ 心理カウンセラー

外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。14年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施。グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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