いつの間にやらパートナーを「親扱い」する心理

現在、パーソナルセッションは満席です。いつもありがとうございます。

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理想のパートナーが欲しい。きっと誰でもそう思うのではないかしら。

「最初から「理想」のパートナーなんかいないのだから、愛して、愛して、理想のパートナーにあなたが育てればいいのよ!」なんてブログで書かれているのが目に入ります。

「なるほど!」と思って頑張ってみたら、確かに、「理想」のパートナーっぽくなったのだけれど、なぜか魅力を感じない。仲がいいのに、レス。これってどういうこと?!

こんにちは。みずがきひろみです。

親密感への恐れが、実際にはどういう形で、パートナーシップに現れるかは、「レス」を考えてみるとよくわかります。

「レス」は、端的に、私たちが親密感を恐がる姿を炙り出してくれます。

今回は、「レス」の理由として最もよく見られる「親」を転移するパターンについて見ていきます。

目次

どうしてパートナーに「親」を重ねてしまうのだろう?

パートナーに親を重ねているから、パートナーに対して安心感はあっても、魅力を感じられない、というのはわかるとして、では、そもそもなぜパートナーに「親」を重ねてしまうのでしょう?

2つのことを知っておくと、自分の対人関係での反応の「なぜ?」が紐解けてきます。

パーソナルスペースに現れる対人関係への恐れ

私たちは、つまるところ動物ですから、本能的に身の危険を察知するところがあります。相手が「人」であれ、「クマ」であれ、「へび」であれ、近づいてくるものが自分にとって安全な存在か、そうでないかを本当的にかぎ分けようとします。

人が近づいてくるときに、恐れを感じて身構える「距離」、があります。この「距離」は、人によって、さまざまです。遠くに人がいるのがみえただけで、違う道を通りたくなるくらい、人を避けたいと思う人もいるでしょう。なんの衒いもなく人とペタッとくっつきたがる人もいます。

自分が「安全」だと思えて「安心」できる空間を、私たちは必要としていて、それを「パーソナルスペース」と呼びます。この空間を尊重してもらえると、私たちは、その相手のことを「わかってくれる」、「大切にしてくれる」人と認識できるようです。

一方で、自分の「パーソナルスペース」を無視して、土足で上がり込むようなことをされると心が不安で掻きむしられるような体験をして、その人に対して警戒心を持ちます。

親子というのは、特に、母子関係は、このパーソナルスペースがほぼほぼ無いところから始まります。だって、私たち、みんな、お母さんのお腹の中にいたんですもの。お母さんのお腹が、私たちのパーソナルスペースだったわけで、お母さんにしてみれば、自分の一部だったのですから、パーソナルスペースも何もあったもんじゃない。

「お母さん」という存在が、ウザイのは、パーソナルスペースを尊重するための境界線をお互いに意識しづらいからでは無いでしょか。特に、「お母さん」側は、子供の成長を見ているけれど、どこでどのくらい手を離していいのかわからないことも多いですし、自分の一部だった記憶が心のどこかに残っているとしたら、わかっていても境界線が見えないことも多いのではないかしら。だから、遠すぎたり、近すぎたりするんですよね。

パートナーは、この「お母さん」以外にこれだけ近い距離に入ってくる、「他人」なのです。それほどに自分を見られ、知られることになるのですから、心の検索エンジンが「この距離で、こういうことが起きた場合はどうしたらいい?」と過去のエピソードを検索すると上がってくる事例がことごとく「お母さん」との体験だった、なんてこともありそうです。

「お母さん」とはセッ☆スはしたくないですし、甘えたいけれど、干渉してほしくないところもあって、それでもいつでも味方でいて欲しいと思うのではないでしょうか。いかがですか?あなたは、パートナーに、そんなことを望んでおられませんか?

子供時代の見果てぬ夢を実現しようとしている?

困ったことに、どんな親も人間なので、子供の理想通りというわけにはいきません。応えられないニーズもたくさんありますし、自分の都合で、感情を爆発するのも、近くにいる子供からは隠しきれません。

子供としては、初めて出会った「お母さん」は、自分の世話をしてくれるし、おっぱいもくれるし、女神のように見えたでしょうけれど、そして、「お父さん」は、大きくて、強くて、頼りになって、神様のように思えたでしょうけれど、そんな、理解できない振る舞いが重なると、ガッカリするし、幻滅します。

がっかりした子供は、そんな風に扱われるのは自分が悪いからなのか、と思います。親が悪いのだとすれば、自分はその親の子供なのですから、やっぱりダメじゃん、となるので、なかなか親を否定できないのです。

とはいえ、養ってもらう立場の子供としては、「私をこう愛して!」とも言えず、ずっと我慢して育ちます。

親と同じようにパーソナルスペースに入り込み合うパートナーができると、このずっと親に対して我慢してきたことが、

ドバーーーっと

それこそ堰を切ったように溢れて、パートナーに向かいます。

パートナーを「親」に見立てて、本当は、親に叶えてもらいたかったことを、パートナーに叶えてもらおうとします。

それが、長年にわたる復讐劇になるのか、見果てぬ夢の実現なのかは、子供時代の親子関係次第ですが、いずれにしても、

子供時代に手に入らなかったものを、どこかで手に入れたい

という思いを、私たちは抱えていて、そのチャンスをずっと狙っているみたいなのです。

エディプスの罠はしつこいから「気づく」ことこそが大事

「私たちの最初の恋は、三角関係だった」。

生まれて初めて出会ったのは、「お母さん」。男性にとっては、永遠の恋人のシンボル。

女性にとって、最初に出会った異性は、多くの場合、「お父さん」。

世話をしてもらい、嬉しそうに自分の顔を覗き込んでもらい、愛してもらった。

もう覚えてはいないけれど、どうやら心の奥深くに刻み込まれているものがあるようで、いつまでも、そんな親の愛を追いかける気持ちが燻っているようです。

「お母さん」のナイトであることも、

「お父さん」のお嫁さんになることも、

とっくの昔にどうでもいいことになっているはずなのに、

違う相手との間でそんな子供時代の夢を実現しようとしているのでしょうか。

どうも、「お母さん」に似たような人、「お父さん」と似た人を、自分のパートナーに選ぶようです。

正反対のタイプを選んだつもりなのに、数年すると、やっぱり似てくる、というこの不思議!

エディプスの罠は、とにかく、しつこい、のです。

切っても、切っても、次から、次から再生するゾンビのように、形を変えて、頭をもたげます。

あのユング先生も、80歳になってもまだ浮気を繰り返しては、

「私はまだ80歳だから、エディプスコンプレックスを克服できていないのだ」

と開き直られたとか(事実不詳)。

親子の業は深いから、エディプスコンプレックスの仕業かな、という自分に気づけたら、

「あぁ、まだ、親に特別に愛されたいと願っている自分がここにいる」

と、静かに認めればいいのだと思います。

それは、人の子としての、切ない思いなのですから。

ただ慈悲の心で、そんな自分を包めばいいのです。

「レス」の先にあるもの

「親」と同じくらいに親密な距離感になったから「レス」になるのだとしたら、「レス」になることが問題ではないのかもしれません。

そこまで、二人の関係性が近づいた、という見方すらできるのかもしれません。

ただし、私たちは、ここで、「親離れ」したエピソードを持っているので、そのままだと「親離れ」した時のように、他に恋する対象を求めてしまいます。

だからこそ、今、私たちが向き合っている相手は、「親」ではなくて、あなたの「パートナー」なのだ、ということを思い出せるといいと思うのです。

「親」ではなくて「パートナー」だからこそ、「レス」の先、があるからです。

もう一度、パートナーに貼り付けた「親」への期待を剥がして、パートナーを、「その人」として見て、その人のありようを楽しむことができたら。

乗り越えたものが創る「絆」とともに、大きなロマンスが、きっとあなたを待っているはず、です。

そんな「レス」の先の世界を、見てみたいと思いませんか?

love and abundance,

みずがきひろみ

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この記事を書いた人

みずがきひろみのアバター みずがきひろみ 心理カウンセラー・ビジョン心理学トレーナー

ビジョン心理学トレーナー。外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。14年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施。グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『きょうだいが苦手だ』(河出書房新社)、『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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