「リハビリ男」は、「もう恋なんて」と閉じていたあなたのハートをこじあけて、「恋するハート」を取り戻してくれる恋のリハビリ請負人だけれど、結果としてパートナー未満だった男、のことです。
こんにちは。みずがきひろみです。
今日も、このブログに訪れてくださってありがとうございます。
なぜ、こんな人に引っかかっちゃったかなぁ、と思うとき
「リハビリ男」は、「もう恋なんて」と閉じていたあなたのハートをこじあけて、「恋するハート」を取り戻してくれる恋のリハビリ請負人だけれど、結果としてパートナー未満だった男、のことです。
しっかりガードして、心の扉を閉じていたはずだったのにねー。何を間違って、開けちゃったかなぁ。
恋がうまくいかなかった時って、そう思いますよね。
「リハビリ男」は、ふてくされてひきこもっているハートをときめかせるくらい魅力的な人だから、何年も恋なんて忘れていたあなたにとって、久々のパワーのある恋だったりしたでしょう?
でもね、なんか肝心なところで「逃げられる」感じがありませんでしたか?
思うに、ひきこもっているハートの気持ちがわかる、ってことは、同じくらいアヤツのハートもどこかパートナーシップを怖れているってことなのかもしれません。だからこそ、親密感が怖い、病み上がりのハートも、このオトコにはノコノコとついていってしまうのかも。
無事、ハートが快復したら、「リハビリ男」の方が、実は、パートナーシップに対して斜に構えているヤツだった、ということが判明する、というのがこの恋愛の痛いところかなぁ。
目が醒めてみると、「え?そうだったの?」という事実がボロボロ出てくる、、、。
いや、失敗したなー、って思いますよ、正直。
なぜ、心を許したかなぁ。
危ない、って思ったでしょう?
そ。本当は、あなたも知っていたんですよ。
There was a writing on the wall. なんて英語では言います。「壁に書いてあったでしょ?」って。
それでも、その関係性の中に歩いて入って行ったのは、あなたにも目論見があったから。
いえ、何か打算的だった、と言いたいのではありません。
心の奥底まで降りていくと、一見、打算的に見えることも、大きな愛に包まれているものです。
長年、自分で開けたくても開けられなかった心の扉を開きたかったの。
そもそも、その心の扉、どうして閉めてしまったんでしたっけ?
どうしても添い遂げたかった人と添い遂げられなかった?
助けたかった人を助けられなかった?
愛したかった人を上手に愛せなかった?
あなたが心の扉にかんぬきをかけたのは、そんな自分への罰だったはず。
その罪悪感を帳消しにするほどのロマンスが必要だったでしょう?
そのかんぬきを外す勇気は、かんぬきをかけた時のハートブレイクを受け入れることだ、ってどこかでわかっていたでしょう?
あなたの、その「リハビリ男」との恋は、
報われなかった昔の悲恋を、
助けられなかったと責め続けた自分を、
愛せなかったと断罪し続けた自分を、
許すためだったのではないかしら?
もう一度、かんぬきを外すために、
もう一度、ハートを取り戻すために、
もし、あなたが、このハートブレイクをあえて選んだ、としたら?
自分の中の「愛」とつながる
「リハビリ男」との恋は痛い。
でもね、振り返ってみると、やっぱりその出会いには感謝の気持ちしかないです、私は。
他人からヤツの結婚の話を聞かされても。
自分が困ったときだけ頼ってくるんだ、と気づいても。
何度泣かされ、しょうがないなぁとため息をつきながら、
愛って何だ?
真心って何だ?
って思いながら生きた、あの時間があったから、
今、私は、誰かといっしょに歩いているのだとも思うのです。
私の「リハビリ男」は、私の幸せを心底祝ってくれました。
それは、それで、ちょっぴり悔しい体験ではありました、ね。
「オマエに言われたくなーい!」と心の中で吐く私もいました。(笑)
それでも、お互いの人生にパートナーシップはなかったけれど、パートナーシップを手放したところで深い絆ができました。
そして、そこには誇りを持てました。
本気で愛してみなければ、「リハビリ」か「ホンモノ」かはわかりません。
でも、本気で愛してみたら、「リハビリ」の恋も、自己愛という名の大きな贈り物があります。
love and abundance,
みずがきひろみ