男であること、女であることを楽しんでいますか?

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自分が「男」であること、「女」であること、を楽しんでいらっしゃいますか?

恋愛が私たちにとって、こんなに重大事なのは、自分のセクシャリティを「いいじゃん!」と誰かに愛してもらえるから。それくらい、私たちは、自分のコンプレックスをセクシャリティと結びつけていて、「愛されない」理由と痛みを癒してくれる「誰か」との出会いを待ち望んでいるのですよね。

そんな私たちを容赦なく追い立てる「年齢」という現実。子供を産むというセクシャリティ本来の役目が終わったら、男も女も賞味期限切れ、ですか?

「男」の賞味期限、「女」の賞味期限について、カウンセリングの現場から思ったことの徒然をば。

目次

「女」の賞味期限は、「男」の賞味期限より早く来る?!

この賞味期限問題、「子供を産む」性である女性の方が深刻に悩むのではないでしょうか。

「子供が産めなくなる」というタイムリミットを意識せずに、恋愛、結婚、そして仕事についても、決められる人の方が少ないのではないでしょうか。

どんな人とおつきあいするのか。

このおつきあいを続けていいのか。

結婚できるのかどうか。結婚していいのかどうか。

子供は産めるのか、いや、そもそも産みたいのか。

この仕事を続けていて、パートナーシップを持てるのか。

などなど。

何度、カウンセリングルームで、

「私、もう30歳になるんですよ〜」と困った顔で話す、若い女性から、

「40歳になってしまいました。なのに、パートナーの影も形もありません」と肩を落としてため息をつく方まで、

年齢の壁を感じて、焦り、憤り、悲しむ、思いを聞いてきたことでしょう。

子供が欲しいから早く結婚したい、という人ばかりでなく、

必ずしも子供が欲しいわけではないけれど、

「子供が産めない」ことで、「女」としての価値が下がってしまうのではないかと不安や恐れに苛まれて、強い焦燥感に苦しむこともあります。

30代後半から40代の女性にとって、つい恋愛で下手に出て、しなくてもいい我慢や、無理をしてしまうのも、そんな「女の賞味期限」が脳裏をよぎって、つい「最後のチャンスかもしれないのに」という気持ちが執着になりやすいから。

セクシャリティは、一義的には、次の世代を産み育てるために、男と女が惹き合うエネルギーですから、「子供を産む」という目的を果たせるかどうかが気になるのは、生理的に当たり前といえばそうですよね。女性の方が、そのタイムリミットが早く来る以上、「女の賞味期限」を強く意識してしまうし、それが自分の「女」の価値を決めてしまうかのように受け止めてしまうのも、仕方がないように思います。

「男はいいよねー。そんな面倒くさい気持ちから自由でさぁ」。

そんな風に言っていたこともあります、私も。

でも、ですよ。

男性も、どうやら、案外、自分の「賞味期限」を意識するものなのだ、ということに気づけて、

「なんだ、お互い様じゃないの」

と思うようにもなりました。

ただ、男性が「できない」ことを悩みとして感じるのが、女性よりも遅いことが多いので、女性が「子供を持つかどうか」で神経質なまでに悩む気持ちが、そのときはまだわからず、

「できなければできないでいいじゃないか」(そう言ってもらえればホッとするにはホッとするのですが)、

「不妊治療につきあっているのに、、、」

と、どうしても他人事になってしまうことが多いようです。それがまた女性をイライラさせちゃったりするんですね。笑。

街中のスクランブル交差点で、若い女性の一団とすれ違い、女性の持つバッグを思いっきりぶつけられて、

心の中で、「バカヤロウ、オレはまだ現役だぞ!」と叫んだ、

という一文を、ある経営者の自叙伝の中に見つけて、思わずクスッときてしまいました。

自分のセクシャリティと、自己価値を結びつけるのは、女だけじゃないんだ、と。

定年を迎え、収入がダウンするようなタイミングと重なることもあって、家で過ごす時間が増えると、自分の立場が思っていたほど盤石ではないかも、と心細く思う人もおられるでしょう。

これまでは職場で過ごす時間が長かったから、家の中の力学に気づかなかっただけなのですが、突然に、自分の扱いが悪くなったかのように感じる「お父さん」族もいるようです。

だいたいその頃になると、30代、40代で散々悩んだ女性たちは、すでに吹っ切れていて、

「私は私の道をゆく」

と決めて、子供がいようがいまいが、男にモテようがモテまいが、自分が楽しいと思う生き方を見つけて、趣味や旅行や仕事に忙しいものだから、今さら男性が「パートナーシップは?」なんて言っても、知ったこっちゃないわけです。

「あの人のニーズを今さら拾うのは面倒くさい」

とかまってくれない。「お父さん」族にしてみれば、

「骨身を惜しんで働いて、貢いだのになぁ」

とボヤキたくなる事態かもしれませんね。

「子供を産む」ということに注目するならば、確かに、「女」の賞味期限は、「男」の賞味期限より早く来ます。

願わくば、お互いの「自己愛の危機」を労わりあい、支え合えますように。それができたら、不必要にドラマを作らなくてもいいはずなのに、なんて思います。

そもそもセクシャリティに賞味期限はあるのでしょうか?

ほとんどの哺乳類には「サカリ」があって、「子供を産む」という目的を達成するために期間限定でセクシャルになるのに、人間はそうではなくて、一年中セクシャルになれます。動物としては、そのことの方が珍しいと言われて、目からウロコが落ちる思いでした。

しかも、それが、メスである「女」が生理を隠すようになったためで、それは、育児にすこぶる長い時間が必要だから、その間、オスである「男」を惹きつけておくための戦略だったのだ、とその話は続きます。

確かに、私たちヒトは、セックスを「子供を産む」という本来の目的以外に使っていますよね。

セクシャリティを、誰かと惹き合い、お互いを愛し合い、慈しみ合い、癒し合うために使うわけで、私たちにとっては、誰かと「つながる」ための大切なエネルギーなのです。

そんな、「つながる」ためのエネルギーであるセクシャリティを、私たちは、何かと「隠さなければいけないもの」として、疎んじたり、恥ずかしがったりします。

変、ですよね。

本当は、つながりたいくせに。でも、それは大っぴらにしてはいけないことのように感じます。

セクシャルな自分を恥ずかしいものと感じて、隠したくなるのは、そこにたくさんのコンプレックスを見ているから、です。

コンプレックスは、自分で自分を愛せない葛藤ですから、自分が愛せないのに、誰かがそんな自分を愛せるはずはないじゃないか、という気持ちが、「つながりたい」という思いの邪魔をします。

でも、自分が愛せないからこそ、誰かに「愛せるよ」と言ってもらいたい気持ちもあって、それが、セクシャリティを面倒くさいものにしているんですよね。

人間にとっては、すでにセクシャリティは、「子供を産む」ためのものを超えた、「つながり」を持ち、自己愛の痛みを癒すというもっと大きな目的を持つものになっているとしたら、そもそも賞味期限などあろうはずがありません。

男であること、女であることを楽しんでいますか?

セクシャリティの問題は、突き詰めていくと、自己愛の問題で、自分の人生において、自分をどう表現するかという自己実現の問題でもあります。

自分が生まれた性そのものを受け入れられない、同一化できないという深い苦悩を抱える方もいらっしゃいます。受け入れ難いけれど、それは激しい自己攻撃によるものである場合もあります。

何れにしても、「ありのままの自分を受け入れられますか?愛せますか?」が究極の問いになります。

今世、どう生きたいの?何を表現したいですか?

そんな根源的な問いを、セクシャリティの問題は突きつけてきます。

私は、私たちの存在意義は「幸せになる」ことで、人生の目的は「楽しむ」ことだ、と思っています。

そして、セクシャリティは、私たちが、自分の人生を「楽しむ」ことを後押ししてくれるものだと思っています。

失恋や、失意で、大きく傷つくときもありますけれど、生きる喜びは、誰かと、何かと「つながる」ことから始まるのだと思いますから、あなたがのセクシャリティが踊るように発せられて、誰かを、何かを、心いっぱい愛せるようであればいいな、と願っています。

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みずがきひろみ

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この記事を書いた人

みずがきひろみのアバター みずがきひろみ 心理カウンセラー・ビジョン心理学トレーナー

ビジョン心理学トレーナー。外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。14年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施。グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『きょうだいが苦手だ』(河出書房新社)、『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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