ニーズとの向き合い方~「欲しい」ものはもう手に入っているのかもしれないと考えてみる~

現在、パーソナルセッションは満席です。いつもありがとうございます。

大雨で、心細い思いをされている方も多いのではないかしら。気圧の低いときは、気持ちが沈みがちですね。気分が振られる方は、こういうときは、無理に元気になろうとしなくてもいいのですが、自分がものごとを悲観的に捉えやすいということを覚えておかれるといいと思います。

こういう日は、誰かのちょっとした優しさを「ありがたい」と思える日ですから、小さな思いやりを大切にしたいですね。

 
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こんにちは。
みずがきひろみです。


長い間、「欲しい、欲しい」と思っていたものが、あるとき、ふと自分の手元に「あった」ということに気づくようなことがあります。

「無い」と思ったから、手に入れようと努力していたのが、いつの間にか、それもかなり自分の理想に近い形でできていた、みたいな話です。



例えば、「家が欲しい」と思ったとします。

できれば、土地付きの一戸建てが「欲しい!」。それも一等地に!

そう思うと、「土地」という目に見えるモノの上に、「家」という目に見えるモノと、「一等地」という多くの人の「評判」という裏打ちが必要になります。

そして、それが手に入らないと、自分の「欲しい」が満たされないことになります。

自分の「欲しい」が満たされないと、私たちは「幸せでない」と思いやすいです。

残念ながら、一等地に土地付きの一戸建てを手に入れるのは、少なくとも東京では、ハードルが高め、です。

すると、なかなか「幸せだ」と思えない、ということになります。

「欲しい」ものが「一等地の土地付き一戸建て」かどうかは別にして、私たちは、とても多くの場合、こうして「欲しいものが手に入らない」と思って、悩み、苦しみます。


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ココロの世界は、カタチの無いものでできています。

カタチが無いから、訳がわからないので、わかりやすくするために目に見えるカタチあるモノを使って、私たちのアタマに、自分の欲求を知らせようとするのです。

「一等地に、土地付き一戸建てが欲しい」と仮に思ったとすれば、そのモノを使って、ココロは、私にいったい、どんなメッセージを伝えようとしてくれているのでしょう?

どうやら「家」が欲しいらしい。←この「家」は、いったい何のシンボルなのでしょう?

「家庭」?「居場所」?「プライバシー」?「家族」?

この連想ゲームの答えは、人によって違うかもしれませんね。


どうやら「土地付き」であることが大事らしい。←この「土地付き」はいったい何のシンボルでしょう?

「所有」?「安心感」?「自由」?

これも、人によって答えが違うはずです。ちなみに、私は「家」を考えたときに、「地震があって、窓から逃げなくてはならなくても、飛び降りて足の骨を折るくらいですむ高さの場所」という条件がありました。「地面との近さ」が私の「安心感」の拠り所なのですね。


そして、それは「一等地」であって欲しいのです。←「一等地」に何を求めているのでしょう?

「承認」?「評判」?「最高」?「環境」?「美しさ」?「安心」?

これも、人によって違うものが出てきます。ブランドを求めるのは自己価値が低いからだ、というのは簡単です。でも、その「ブランド」にも意味があります。「他人からどう見える」か、という他者目線の評価もありますが、「静かな環境」だったり、「美しい景観」だったり、「ご近所付き合い」など、その質的価値はさまざまです。



「土地付きの一戸建ての家が欲しい」と思うならば、もちろん、これを手に入れるために頑張っていただくのがいいと思います。

と同時に、この「土地付きの一戸建ての家」が、「何」のシンボルなのだろう?と考えてみるのも、オススメです。

というのも、アタマは、「土地付きの一戸建ての家ね、ラジャー!」と思い、そのモノを手に入れようと頑張りますし、それは決して悪いことではありませんが、ココロがこのシンボルに込めた思いを理解していないと、手に入れたとしても一瞬の達成感だけで、ココロの願いを叶えていないと、すぐに元の「無い」感覚がぶり返すからです。

ココロ曰く、「違う、違う、違う!それじゃなーい!」。


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この逆もあって、土地付きの一戸建ての家を手に入れられなかったときに、アタマは「失敗」と認識して、自分は「ダメなヤツ」、とココロに「ダメ」レッテルと貼ろうとします。

望んだものを手に入れられない自分なんて、と自己攻撃モードに入るパターンです。

でも、落ち着いて、よくよくココロの声に耳を澄ましてみると、本当に欲しかったのは、

「居場所」で、そこで「自由」に、「安全」に暮らせるコミュニティを築きたかった、

ということだったりします。


そこに気づけると、いや、土地付き一戸建ての家ではありませんけれど、

普通にアパートかもしれませんけれど、リフォームに寛大な大家さんだったこともあって、かなり自分が好きなようにイジれて居心地のいい空間になっています。

自分の持ち家ではありませんけれど、アパートの前の猫の額ほどの場所ですけれど、自由にプランターを置かせてもらって花を育てることもできます。

気がつけば、他の住人さんたちとも、ご挨拶から話し込むことも増えて、いつの間にか定例会のように季節ごとに集まってご飯を食べるようになっていました。

地震がきて、停電してトイレも水も止まったのに、猫をたくさん飼っていたご近所さんが猫砂を使って簡易トイレを作ってくれたり、いつも飲料水を宅配注文している方から分けていただいたり、で何とかなってしまいました。

「土地付き一戸建ての家」は、まだ手に入っていないけれど、ひょっとして欲しかったもの、ほぼほぼ手に入れているのではないかしら?



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ココロのパワーって、とても大きくて。

「欲しい」と思っていると、本当に、ちょっとずつ、ちょっとずつ、そっちの方向に歩いていくようなのです。

あまりにも小さな歩幅なので、当人的には、全然進んでいる感じがしなくても、長い時間をかけて歩いていることがあります。これが、自分に「欲しい」ものをあげたいと願う自己愛の力なのです。

魔法の杖を振るような大きな変化だけが変化ではありません。水がチョロチョロと流れて、たまり、あるときに一気にあふれ出すように現実化することもあります。

あまりにも小さな一歩は、前進した感覚がないので、達成感もありません。

でも、時々、そんな小さな一歩の積み重ねに気づける機会がやってきます。

そのとき、

「土地付きじゃなーい」。

「一戸建てじゃなーい」。

「一等地じゃなーい」、

とケチをつけないでくださいね。それらは、ただのシンボルですから。

アタマが、よくわかっていなくて、シンボル通りのものを追いかけただけで、ココロが欲しかったものは最初から変わっていないのです。

アタマが、必死に考えて頑張っているうちに、ココロは、粛々と小さな一歩を刻み続けていたようです。


そんなアタマとココロのせめぎ合いを見つけたら。

おバカねー。でも、健気ね。

そう笑って、両方を抱きかかえられますように。


そんな風に自分を愛することができたら、きっと他の誰かを愛することも、大切にすることも、もっと上手にできるかもしれないから。





自分を知り、自分を好きになれれば、人生はもっと楽しい♪。

今日も、幸せ。明日も、幸せ。そんな、ずっと続く幸せを見つけられますように。



love and abundance,
みずがきひろみ



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この記事を書いた人

みずがきひろみのアバター みずがきひろみ 心理カウンセラー・ビジョン心理学トレーナー

ビジョン心理学トレーナー。外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。14年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施。グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『きょうだいが苦手だ』(河出書房新社)、『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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