どうしたら上手に「手放し」ができますか?

先日は、ニコ動の神戸メンタルサービスチャンネルの恋愛アカデミーに出演させていただきました。視聴していただきました皆さま、どうもありがとうございました。たくさんのご質問をいただき、そのすべてにお答えすることができませんでした。ごめんなさい。また、どこかで私を見つけて、ぶつけていただけると嬉しいです。

お答えしたうちの一つに、「どうしたら上手に手放しができますか?」という、もう、語り出したら止まらないような質問がありました。

「もっと愛すること」。

そうお答えしたのですが、もう少し言いたくて、このブログを書いています。

結論は、「もっと愛すること」なのですが、その「なぜ?」が言い足りなくて、こちらで付け足しをさせてくださいね。

目次

「手放し」は起きていることを「受容」すること

まず、「手放す」ということは、起きていることを、そのまま「受容」することなのだ、とご理解ください。

起きていることは、ひょっとしたら、あなたにとって望むことではないかもしれません。

恋愛ならば、大好きな相手を「手放す」ということは、

相手があなたを愛していても、愛していなくても、

状況が二人が一緒に生きることを許しても、許さなくても、

そのままの有り様を、ただ「受け容れる」ことなのです。

愛している人たちと一緒に生きられないかもしれないけれど、それを「受け容れる」。

愛してほしい人が愛してくれない、ということを「受け容れる」。

思い通りにならないことを「受け容れる」。

「手放す」とは、自分の願いとは違うことが起きているけれど、それを「受け容れる」ということ、なのです。

もちろん、「嫌だ」という気持ちになりますし、それに伴い、傷ついたり、自分を責めたくなったり、他人を悪者にしたくなったり、天を憎み、無気力になるなど、ネガティブな感情をたくさん感じます。

だからこそ、受け容れるためには、自分自身も、相手や状況など、思い通りにさせてくれないものを許す必要があります。

この「許す」ために、「愛する」ことが必要なのです。

思い通りにならないものを、ただそのまま「受け容れる」ために、おばあちゃんがやんちゃな孫を見るように無条件に「愛する」ことができるまで、愛して、愛して、愛します。

この時、何かをしなくてもいいんです。ただ愛する心を持って「見よう」と思うだけ、なのです。

そのうち、ふっと軽くなって歩き出すことができますよ。

「手放し」は自分でするのではなくて、勝手に「手放される」

「手放し」は自分でするものではなくて、勝手に「手放される」、自然にそうなるものなのですが、これはちょっとわかりにくいかもしれません。

大好きな人や、モノや、場所があって、それを手放す時、

「えい、やー!」と気合いで放り投げる、とします。

大好きなものに扉をバタン、と閉める、とかのイメージです。

そうでなければ思い続けてしまってツライから、そうするのですが。

そして、それは、その時は、いいのです。

多分、ちょっとすっきりとします。そして、あなたは、ちょっとかっこよくなります。このとき、一瞬、自己肯定感が上がります。

ただ、自分の「好き」になるハートも一緒に、ゴミ箱の中、あるいは扉の外に放り投げていることも多いのです。

そうするとね、次に何かを「好き」になるまで、とても長い時間がかかってしまうことがあります。

私が、お伝えする「手放し」のイメージは、

手のひらの上に、あなたが手放そうとしているものをのせて、それを風に運んでもらう感じ。

自然に、風に持っていってもらう。天に、神様に、でも、なんでもいいのですが。

そうすると、風に運ばれるたびに、悲しみをいっぱい感じるでしょう。

涙がたくさん溢れてくるかもしれません。

でも、この涙には、慈悲があって、癒しがいっぱい含まれているので、溢れるまま、風に涙も運んで貰えばいいのです。

「私って可哀想」と自己憐憫が強く出てくることもあります。

これには、ちょっぴり怒りが混じっています。でも、その下には、自分が自分の味方を求める寂しい気持ちがあるので、その寂しさにそっと寄り添っているうちに落ち着いてきます。

キリがないと思われるかもしれませんが、大丈夫です。

必ず、自然に、優しい気持ちが心に入ってきて、悲しみが優しい気持ちに変わっていきますから。

誰も悪くないと自然に思えたらいいね

リクツは、いろいろあって、それを述べることもできるのですが、

「どうしたら上手に手放せますか?」

とお聞きになる方は、それを知った上で、でも「できないよー」とおっしゃっているのだと思います。

自分の心に「こう思え!」と強制すると、どこかで反発が出てきます。

どんな感情も、あなたがその感情にしがみつかなければ、通り過ぎるときがきます。

自然に、手を離れようとしている感情を、掴んで離さない、ということを「しない」ことが大事かしら。

痛みを伴う感情を感じると、そんなつらい思いをするのは、「誰か」のせいにしたくなります。

そこで、その思いにしがみついていると、感情があなたを離れることができなくなるのです。

これを「執着」と言います。

執着をしているときは、大好きなものをぎゅっと握りしてめています。

残念ながら、それは、自分にも相手にも「自由」がないので、それは「愛している」とは言いません。

ちょっと勇気がいりますが、その「手のひらを開く」だけでいいのです。

ありのままの相手も、ありのままのあなたも、ありのままのその「場」も大好き。

すべての自由を尊重できるくらいに愛したい、と思ってみます。そうすると心がホッと軽くなりますでしょう?

手にひらを開いて、握りしめるのではなくて、風に持っていってもらうに任せませんか。

「愛する」ことが悪いはずはないのですから、

「愛する」気持ちそのままで、そっと運ばれていってもらいましょう。

ハートが開いていれば、「好き」という気持ちが生きていれば、相手も、自分も、状況も、責めなくてすむときが必ずきます。

それでも「執着」が苦しいとき

それでも「執着」を整理できずに苦しい時ってありますね。

憎しみ、怒り、恨み、つらみ、という悪感情に苛まれているときは、「自分を愛する」ことがテーマになりますから、自分のニーズを、自分で拾うことを大切にしてくださいね。

もし、楽しかった思い出や幸せだった時の感情に「執着」しているのだとしたら、私のオススメは、それを丸ごと、時間と空間を超えられる、あなたが信頼できる存在に預ける、と考えてみることです。もう少し詳しくお伝えしますね。

綺麗な小箱がある、と思ってください。宝箱のような、美しい文箱のような。

そして、その小箱の中に、あなたの大切な楽しかった思い出や幸せだったときの感情をしまいます。

それをしっかりとしまったら、それを「時間」と「空間」を超えることができるとあなたが信頼できる存在に託す、と思ってみます。例えば、昔からずっとある丘の上の楠とか、ご先祖さま、とか、すでに亡くなられた大切な人とか、神様、とか。

「これは、私にとってとても大切なものだけれど、今は、いらないから、また平和な気持ちで楽しめる時まで預かっていてください」

と頼みます。

私は、こういうときは、自分の心の奥の聖堂の祭壇の上に置いておきます。そして、神様に預けますので、よろしくお願いします、とお願いをしておきます。

どんな想いも、あなたの大切な人生の一欠片。私は、そう思うのです。

だから、気づけたら、それを大切に扱えるといいな、と。

楽しかった思い出に執着していると前に進めませんが、楽しかった思い出は、「許す」勇気をくれますし、あなたの「愛」をもっと大きなものに育ててくれることもあります。

悪いものとして切り捨てるのではなくて、愛して、大切に、次のステージに「送る」と思えたらいいかな、と。

「手放し」は「次のステージ」に行く準備

「手放し」は、「次のステージ」に行く準備でもあります。

「いらない」と放り投げるのではなくて、

「ありがとう」と感謝して、風に預けたら、

きっと罪悪感も、一緒に、風に持っていってもらえるのではないかしら?

あなたの中に、「次のステージ」に行きたい、という気持ちがすでにあるから、こういう状況になっているとも考えられます。

ならば、「次のステージ」に行きたがっている、うずうずしているご自分の心もあるはずで、そんな自分にも気づいてあげてくださいね。

「ゆっくりね」と声をかけながら。

「でも、そこに行くからね」と。

このプロセスを歩んでいるどなたかのお役に立てると嬉しいです。

いつだって、答えは「愛する」ことの中にある。

「大きな愛」は、相手も、自分も、状況も、すべてを愛する心。

そして、それは、いつだってあなたの中にあります。

love and abundance,

みずがきひろみ

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この記事を書いた人

みずがきひろみのアバター みずがきひろみ 心理カウンセラー

カウンセリングサービス所属心理カウンセラー/神戸メンタルサービス講師・トレーナー。外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。自身の離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。13年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施、グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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