こんにちは。
みずがきひろみです。
グズグズと執着しているのを「女々しい」なんて言います。何というか、「女」が二つ!「女」が三つになると「姦しい」で、これもどうもあまり心証のいい言葉ではありません。
「女は感情的だ」と、あまりいいイメージではない言われ方をされることが多くて、私も心理学を学ぶようになるまで、「女性」であることも、「感情」についても、あまり「いい」ように思えませんでした。
「女は涙を使うからズルい」と言われてしまうので、泣いてはいけない。
でも、「怒ってもいけない」。
何があっても、淡々と冷静に考えて、意志を持って行動できるのが「大人」というもの。
そう思って、私なりに頑張ってはいましたが、どちらかというと繊細なたちで、すぐに傷ついてしまうし、それがまた顔に出てしまうから困ったものでした。
他人の嘘やごまかしが透けて見えるようで、それを感じるたびに傷つき反発したくなり、怒りたくない私は疲れるから、
「神様、お願いだから、私を鈍感にして!」
と真剣に願っていた頃もあります。
私にとって「感情」は厄介なもので、できれば感じたくないと思っていました。感じなくてすめば、もっと人生がうまくいくと思ったのです。
「辛い話をしているのに、笑いが起こる」という宣伝文句につられて神戸メンタルサービスの門をくぐったのですが、最初に参加したセミナーでは、頭が痛くなるほど泣きました。
ところが、セミナーが終わり帰ろうとしたら、アシスタントをしていた先輩に、
「大丈夫よ。ちゃんと感情を感じられるようになるから」
と声をかけていただいたのです。
?!
もう情けないくらいにビービー泣いていて、自分の感情を刺激しないでほしいと思っていたのに、「感情を感じられるようになる」ってことは、
これは「感じていない」ってこと???
と、あの時の衝撃は、もう20年以上経っても忘れられないくらいに大きかったです。
今ならわかるんです。
人が、ヒステリックに怒るとき、ビービー、ギャーギャー泣くとき。そして、他人を射るように睨んでいるとき。
それは「怖い!」と感じて、ハートの中に入ろうとしている感情を弾き飛ばそうとしているとき、なのです。
なので、感情に飲み込まれているのですが、実は、ハートは、感情をそれほどには感じていません。
単純化しすぎた言い方になりますが、思考的・理論的な男性性に対して、感情・感覚的な女性性は劣っているという思い込みが、私にはありました。
心理学的には、これはエレクトラ・コンプレックスと呼ばれるもので、女の子が「女の子に生まれてきてごめんなさい」という、男性に対して劣等感を感じる感情の「罠」です。
エレクトラ・コンプレックスが強いタイプの女性は、どうしても男性に対して必要以上に卑屈になるか、競争してしまうかのどちらかになりがちです。
女性であることに劣等感があった私は、感情的な自分を否定しまくりましたし、必死でコントロールしようとしました。
繊細すぎる感受性も、煩わしいと思っていました。
なので、一生懸命、自分の女性性にダメ出しをしながら、なんとか男性性を育てようとしてきたのですが、決してうまくいったとは言えませんでした。
今ならわかるんです。
「男性性」を育てるのは「女性性」なのに、その「女性性」を否定していては、偏った「男性性」しか育たないんですよね。
そのうち、自分の中で虐げられてきた「女性性」が復讐を始めます。ツンツンと自分の「男性性」を攻撃し始めるんです。
(何をしても)「またうまくできなかったじゃない」。
(何をしようとしても)「どうせムリよ!」。
理想に向けて頑張ろうとする(男性性ね)と、「ふん、そんなもの!」と女性性がケチをつける、とか。見事にドジを踏む、とか。
つい自己攻撃をしてしまう方は、心の中でそんな葛藤をされていませんか?
心の中では、自分の「女性性」と「男性性」との間のケンカですけれど、これが現実に映し出されると、「家族」の中で、こんなケンカが起きます。
お家で、子供の頃、お母さんが、お父さんをディスるのを聞きませんでしたか?
「あなたは、どうしてそんなにだらしがないの?」。
(子供に向かって)「あんたは、お父さんのようになっちゃダメよ!」。
面と向かって、お父さんをディスるお母さんもいらしたでしょうし、表面的には服従だけれど、こっそり裏で「あんな人」ってめった刺しにするようなことを言っていたり、とか。
あれは、「社会」という目に見えるところで認めてもらえない「女性性」の、「家庭」という見えにくい世界での「男性性」への復讐なんです。
今、自粛、自粛で、多くの人にとって「家庭」という見えにくい世界が、時間の大半を占めるメインの「場」になっていますが、そこで何が起きていますか?
復讐する形でしか自分の存在を認めてもらえないと思ってしまうのは、「女性性」が、長い間、承認されずに、未熟なまま、育まれずにきたからです。
「いいものだ」と思えなかったから、育てられずにいたのです。
「女性性」を育てるために必要だったものが二つあります。
それは、男性から、自分の「女性性」を認めて、褒めてもらうことと、いい「女性性」のロールモデルを持つこと、でした。
「女性性」=ヒステリックに感情的であること、というイメージを塗り替えてくれたのは、男性からの「女性性」への承認でした。
男性から「女性性」を大切にしてもらえて、ようやく自分の中の「女性性」にOK!と言えるようになる女性は多いと思います。男性陣に頑張ってほしいところ、ですね。
そんなに男性に大切にしてもらえるならば、あるいは喜んでもらえるのなら、「女性性」をもっと磨いてみようと思います。
すると、「成熟した女性性」のいいロールモデルも見えるようになってきました。
成熟した女性性とは、感情を感じないようにすることではなくて、どんな感情をも受け入れられる「心の器」を持てるようになることなのです。
そして、そんな「心の器」は、「許すこと」の繰り返しで作られるもののようなのです。
「女性性」を「いいもの」として受け入れるためには男性から「女性性」を大切にしてもらうことが必要でしたが、「女性性」からの復讐で傷ついた「男性性」を癒すためには、ものすごく大きな「女性性」が必要でした。
「男性性」と「女性性」のどちらが大事、ではないんです。
どちらも育むことが必要なんです。
「男性性」と「女性性」が喧嘩を続けていては、成熟できないのです。
今、コロナ禍の中、男性性は、「働けない」と無力感でいっぱいになっているか、「超忙しい」状態に置かれて疲弊しているかのどちらかになっているのではないでしょうか。
この大きな傷を負った男性性を癒そうと思ったら、それこそ、大きな、大きな、「女性性」が必要になる、と思っています。
どうか、そんな大きな「女性性」を受け入れられるような「心の器」を作れますように。
大変な時期を乗り切るために、私たちは、「思考」と「知恵」を総動員しなくてはなりません。自ら考えて、自らを律して、賢く行動したいところなのです。
この、「思考」、「知恵」、「賢い行動」は、真実の「男性性」の領域なのですが、それを産み育てるのは、「女性性」です。
真実の女性性は、「許し」、「受け入れ」、「つながり」、(新しいものを)「産む」力です。
感情にいたずらに振り回されるのではなく、感情の罠に引っかからずに、感情とつきあえるようになれたらいいと思うのです。
あなたが、本来のあなたらしさを生きることで、人生を楽しめますように。
今日も、幸せ。明日も、幸せ。そんな、ずっと続く幸せを見つけられますように。
love and abundance,
みずがきひろみ