こんにちは。
みずがきひろみです。
名古屋に来ています。
夜に大阪から名古屋に移動して、ガッツリ食べる感じでもなかったので、バーでワインとおつまみを頼んだところ、意外にも、かなりしっかりとしたイワシのフライが出てきました。大きいでしょう(写真↑)?
何年か前に、アンダルシアを旅行した時に、浜辺で炭で焼いていた大きなイワシを思い出しました。あの時も、塩とレモンだけでいただいて、「イワシって、こんなに美味しかったっけ?」と大喜びしたなぁ。
このイワシのフライに添えられていたのは、「焼き」レモンとサワークリーム。
この「焼き」に、私のハートが鷲掴みされてしまったのです。
そのままのレモンと「焼き」レモンで何が違うのか、ブラインドテストをされたとしても、きっとわからないでしょう、私には。ならば、意味がない、といえば意味がないのかもしれませんけれど。
でも、ですね。このレモンの焼き目に、私は、「愛」を感じるんですよ。
そのまま出してもいいのに、わざわざ焼いてくれたんだ!(繰り返しますが、焼いたからどうっていうのはわからないんですけれど)。
でも、この焼かなくてもいいのに、わざわざ焼いてくれた、が嬉しい、んです。
ひょっとしたら、火にかけると、柑橘類も、ちょっとは酸味が和らぐのかしら。ツンとくる酸味じゃなくて、優しい酸味にしてくれているのかしら。
私の最初のお姑さんは、もともと料亭の跡取り娘として育てられて、3歳の時から割烹着を着せられて板場に座らされていた人だったので、お料理がとても上手でした。
毎年、御節は、全部作る人でしたが、酢の物も、ほんのり甘酸っぱくて、でもさっぱりしていて、口直しにいくらでもいただけるように仕上げてくれていました。
いつだったか、一緒に入った小料理屋の酢の物の酢が強かった時も、「あー、口がひん曲がりそう。酢のものは、ちゃんと合わせ酢を火にかけて煮切らないとね」、と何かと機会を捉えては、何も知らずに嫁に来た私を連れて回っては、お料理のコツやポイントから「生き方」や「困った時の考え方」まで、教えようとしてくれていました。
当時の私は、まだ若くて、そんなお姑さんの「愛」を受け取るというより、失態をしでかさないように覚えておかなきゃ、と必死でした。私のためを思って、色々と教えてくださっていたのに、私は「叱られるのが怖い」方が先に立っていたように思います。
「お姑さん」も、「お母さん」も、怒らせたくないですものね。
あの頃は、私が未熟だったので、彼女の愛の、きっと半分も受け取れていなかったと思いますけれど、今、こうしてレモンの焼き目に萌えているのは、彼女が私を愛してくださったから、なんですよね。
心が汲々としているときは、誰しも、自分のことしか見れなくて、他人の思いにまで心が及びません。
でも、少しゆとりが出てきたとき、そこ、ここ、に、人があなたを想ってくれた「跡」が見えます。人が残してくれた「想い」の跡を、たくさん見つけられればられるほど、そこに「愛」を感じられれば感じられるほど、世界は優しく豊かなものとして、あなたの前に広がります。
あなたはどこに「愛」を感じる人ですか?
あなたの大切な人は、あなたがどこに「愛」を感じる人か、ご存知ですか?
あなたの大切な人に、あなたがどこに「愛」を感じているか、伝えていらっしゃいますか?
あなたがたくさんの「愛」を受け取れますように。
love and abundance,
みずがきひろみ