「癒し」とは「過去」を「過去」にすること

現在、パーソナルセッションは満席です。いつもありがとうございます。

こんにちは。
みずがきひろみです。


先週末は、福岡で、神戸メンタルサービスの講座、ワークショップ三昧でした。

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今年最後の福岡出張でした。また、来年、つながりに来ますね。

最近は、YouTubeで、講座を聞いてくださった方がいらしてくださることも増えて、嬉しいやら、照れるやら、です。凄いですね、YouTube。それ以上に、皆さま、使いこなしていらして凄い! 自分が時代について行けていないことを痛感します。とほほ。


 感情は「過去」の産物


私たちは、毎分、毎秒、いろいろなことを判断しては、決めています。

そうしていることの自覚がないまま、外側の世界で起こる出来事に反応して、言うこと、やることを決めています。

どんな表情をするか、どんな言葉を発するか、どんな風に振る舞うか。

それは、どう感じたかにかかっています。

心地よいものには、気持ちいい、嬉しい、と喜びを感じますし、不愉快で、つまらないものは、イヤだと嫌悪を感じます。


何を「イイ」と感じて、何を「イヤ」だと感じるかは、自分の心や体の「判断」にかかっています。

 
「イイ」ものか「イヤ」なものかの「判断」は、多く「体験」によるもので、「過去」の出来事のデータベースを元にしています。

私が子供の頃に食べた生のパイナップルは、すごく酸っぱかったです。なので、ずっとパイナップルは、缶詰でないと私には酸っぱすぎると思っていました。今は、甘いですね。しかも、指でぽろぽろと外して簡単に食べられる!

誰かが、「今のパイナップルは、スナックのように食べられる」と教えてくれて、私も、それを信じてみようかなと思ったから、「もう1回、食べてみよう」と思えたのです。

あの、堅くて、トゲトゲしたものを一生懸命に切って食べたら酸っぱかった、という私の体験を「昔の話」にできなかったら、もう一度食べたいとは思わなかったでしょう。

私たちの行動は、「もう一度食べたい!」という感情が動機になりますが、この感情は、「美味しかった!」もしくは「美味しくなかった」という、「過去」の体験がベースになっていて、それは、

必ずしも、「今」「ここ」の真実ではない!

のです。


そして、何を「イイ」、「イヤ」と感じるか、も、体験が大きく幅をきかせるのです。

私が、前の家の近所のお寿司屋さんの大将は、子供の頃から家業である寿司屋を継ぐように育てられました。魚やシャリの繊細な味が「わかる」舌を作るために、子供時代、一切、辛いものを口にさせてもらえなかったそうです。

「いや、僕は、辛いものを食べられないんです」とおっしゃいます。「舌が痺れて、全然受け付けないんです」。

タイ料理の甘酸っぱ辛さのバランスの中に「美味しさ」を感じる人もいれば、舌の味蕾が多いために「痛み」ばかりを感じてしまう人もいらっしゃいます。

何を「イイ」とか「イヤ」と感じるかも、自覚がないかもしれませんが、体験を通して私たちは教育されています。


最近は、私はあまり見ませんが、昔は、電車でおばあさんに席を譲ったら、「私は、そんなに年を取っていませんし、弱くないです!」と叱られることがありました。「弱い」と見なされることが、死活問題になるような人生を送ってこられた方だったのかもしれません。

「席を譲ってもらえる」思いやりを、「嬉しい」と思えるか、同情されて「情けない」と思うかも、過去の体験によって変わります。

席を譲ろうとして、相手を怒らせてしまう体験をすると、今度は、「私なんかが席を譲るのはさしでがましいのではないか?」と思い、気になるお年寄りが近くにいらしても声をかけられないかもしれませんね。

この「私なんかが」の感情も、過去の出来事の産物です。

こう見てくると、私たちの行動動機になっている「感情」は、ほぼほぼ「過去」の産物だ、ということになります。


つまり、私たちは、知らず知らずのうちに、

「過去」に縛られて生きている、

のです。

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いつの間にやら、西郷山公園の木々も色づいてきました。


 「過去」を本当に「過去」にできると「自由」になる


別に、パイナップルを食べたくなくても、タイ料理を美味しいと思えなくても、人生には大して支障はないでしょう。

でも、人の思いやりを「好意」である以上に、「同情」だったり、「恥」だと感じてしまうと、しなくてもいい「戦い」をずっとやり続けなくてはならないかもしれません。

自分の差し出す手が役に立たないという「思い込み」を持ち続けると、あなたの「優しさ」や「愛」は、なかなかわかってもらえず、「無関心」だと誤解を招くこともあるかもしれません。

私たちがよく感じる、

「きっと嫌われているに違いない」とか、

「きっと私はいない方がいいのだろう」とか、

「きっと自分では不十分なのだろう」という想いの根拠になっているのも、大概は過去の出来事、しかも、子供時代の体験だったりします。

心無い出来事があったのは、「事実」かもしれません。

でも、子供の目線と大人の視点では、同じ「事実」も見え方が違います。背景への理解力も違います。そして何よりも、身体的な能力や経済力といった対応能力が違いが作る「心のゆとり」が、大人にはあるはずです。

「子供の時は、そう思うしかなかった。けれど、大人になった今は、もう違う受け止め方をしてもいいのではないかしら」。

そんな「過去」の出来事も多いのではないでしょうか。


「きっと嫌われるに違いない」と思うと、つい相手を警戒してしまいます。そんなちょっとした「警戒心」が、相手との心の距離を作ってしまうこともあるでしょう。

「きっと私はいない方がいいのだろう」と思うと、ちょっとした言葉の行き違いが、取り返しのつかない「別れ」になってしまうこともあるでしょう。

「きっと自分では不十分なのだろう」と思うことで、つい遠慮して、自分の持つ力の半分も使えずに忸怩たる思いをすることもあるでしょう。


そんな「過去」の感情が、もし、不本意な「今日」の現実を作っているとしたら、「過去」は、まだ「過去」になっていない、

まだ「過去」を生きている、

のかもしれません。


パートナーを変えても、仕事を変えても、友人を変えても、

「過去」が作った「思い込み」が「感情」を作るなら、

そして、その「感情」に反応するように「判断」して「行動」しているなら、

あまり悩みは変わらないかも、ですね。


本当の「自由」は、外側の世界が変わることではなくて、外側の世界で起きることを、

どう感じるか、

どう見るか、

どう思うか、

が変わることで手に入るものですものね。


「感情」に囚われないというのは、「感情」を感じないことではありません。

人間ですから、感じるものは感じます。感じることは、「幸せ」になるためにも、とても大事です。

でも、感情は、昔の自分の体験を教えてくれているものだ、ということを知っていれば、それがネガティブな感情であっても、

「ひょっとしてアップデートのタイミング?」

ということにも気づけるのです。

「こう思っちゃったけれど、それは昔の話ね」とサラリと流せれば、「今」「ここ」で、自分が本当に望んでいるものを選べます。

「癒し」とは、ものの見方、感じ方、思い方が変わることです。

それは、「過去」を本当に「過去」にすること。

「過去」から「自由」になって、真の「自分」を生きること、なのですね。

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実りの秋。


あなたが、真にあなたらしく生きることを応援できたら、嬉しいです。



love and abundance,
みずがきひろみ
 


〈カウンセリング予約センター〉

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この記事を書いた人

みずがきひろみのアバター みずがきひろみ 心理カウンセラー・ビジョン心理学トレーナー

ビジョン心理学トレーナー。外資系投資会社で20余年株のアナリストとして活躍。離婚問題をきっかけに心理学を学び始め、2008年からカウンセラーとして活動する。14年で8,000件以上の個人カウンセリングを実施。グループカウンセリングや大人数の癒しのワークショップも多数開催している。著書に『きょうだいが苦手だ』(河出書房新社)、『母の呪縛をといてありえないほど幸福になる方法』(河出書房新社)がある。

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