こんにちは。
みずがきひろみです。
師匠の師匠 がハワイの自宅で開く5日間のセミナーに来ています。
オアフ島の東側、有名なカイルアビーチより少し北上したカネオヘというところにあります。異形の山々が、すぐに湾へとつながる、 海の景色も山の景色もある自然の豊かな地です。いわゆる観光地の賑わいがないので、ここへ来たとたん、時間の流れ方が変わります。
自由が欲しくて「自立」したのに、、、
交通の手段が限られるから、前回は、レンタカーをしたのですが、今回は、「自分の中の加害者」をすごく意識していて、慣れない土地で運転して万が一誰かを傷つけてしまったらどうしようと心配になって、迷った末に車を諦めました。
宿から会場まで、歩いて30-40分?かしら。前回、10日間のセミナーでここに来た時に、私のバディが10日間徒歩で往復し通したのを知っているので、できないことはないはずと思うものの、暗く、人通りの少ない道を行くのはちょっぴり勇気がいりますね。
お昼や夜ごはんを食べるのも、ちょっとした買い出しも、徒歩圏には何もないので、車がないととたんに行動が制限されて、自由がなくなる感じがします。子供の頃、お母さんに車で送り迎えをしてもらわないと学校にも行けなかった、あの感じがよみがえってきます。
そう。これ、嫌ね。自分がやりたいことがあっても、誰かがウンと言ってくれないとできない「感じ」。そんな制限から自由になりたくて、力をつけたいって思ったんだっけ。
「自立したい」と思ったのは、「自由」が欲しかったから、なんですよね。
「自立」を手放すと「自由」も失うのだろうか?
去年、歳をとった北海道に住む姑に、車の運転を諦めてもらいましたが、ずいぶんと抵抗していました。タクシーをもっと気軽に使ってもらえるようにと、子ども側もそれなりに知恵を絞りました。
認知が若干怪しくなってきたので、安全を思うと、お母さんに「運転する」ことを諦めてもらわなければならないけれど、子供としては、お母さんの活動を制限したいわけではありません。これまで通りに、運動や合唱や、お友達つきあいも、マッサージのような医療サポートも受けてほしい。「運転」しなくても、自由にお買い物に行けるような、医者や療法士のところに行けるような仕組みはないか、頭をひねるわけです。
でも、お母さんは、やっぱり「自由」にできなくなった、と感じているみたいです。現実的には、「できる」はずなのに、気持ち的に「できなくなった」ようです。
お母さんにしてみると車を運転できないのが嫌という以上に、この
「誰かに頼らなければならない」
という「依存」的な状態を受け入れたくないんですよね。
もちろん、「ありがとう」と思ってくださっているのですが、「迷惑をかけたくない」が勝っちゃうから、自分の「楽しみ」のためにまでタクシーを使おうとは思えないんですね。
子供にしてみれば、楽しそうにニコニコしてもらえるなら、それが嬉しいんですけれど。
でも、逆の立場だったら、私も同じように思うかな、やっぱり。
自分で、自分のことは決めて、自分でやりたい人にとって、誰かにそれを頼らなければならないというだけでストレスですもの。とたんに自分が無力になったように感じるし、そんな自分に価値がないなんて思いたくないから、しきりに他のことで頑張ってみたり、自分を大きく見せたくて威張りんぼうになったりしそう。
本当は、誰かに助けてもらえて、「愛されている!」って感じられるチャンスなのだけれど、一足飛びにそう思えないことの方が多いかも。もちろん、「ありがとうございます」とは思いますけれど。
「できなくてごめんなさい」。
そんな罪悪感ばかりが出てきます。
だから、「自立」を手放すと「自由」が引き換えになっちゃうんですね。
自立を手放さなければならないときは、「愛されている」を学ばなければならない
「ありがとう」と「ごめんなさい」の綱引きが起こっているとき、それは、あなたが思っている以上に「愛されている」のかもしれない、ということに気づきなさいということなのでしょうね。
言うが易し、為し難し、ですが。
歳をとるということは、できないことが増えるということ。誰かの好意に甘えなければ、これまでできていたこともできなくなる、ということ。
競争しても敵わないことが、今よりもさらに増えるでしょう。残念で、情けないことを数えると、きっとキリがないかも。
人様に迷惑をかけないという矜持を通すのも立派ですけれど、正直なところ、自分がそんなしっかりとしたストイックなおばあさんになれる自信がありません。
こんな甘ったれ、若い方たちにき
っといっぱいお世話になるに違いないって思うんですよね。だとしたら、せめて「助けやすい」「面倒を見やすい」「愛しやすい」おばあさんになりたいです。
「自由」もまた、愛し、愛された分だけ受け取れるもの、なのだと思うのです。
明日から、また。どんな出会いがあるのかわかりませんけれど、自分の弱さも強さも、ありのままで、「愛されている」ことを信頼できますように。
love and abundance,
みずがきひろみ